「イドルさん、随分消沈してましたねー」
裏口に回る道すがら、こっそり後ろを振り向いたセレンが囁いた。
シグリィは振り向かずに応える。
「そうだろうな。現実をつきつけられたんだ」
「シグリィ様も意地悪ー」
「必要悪だよ」
「でもこのままじゃ、あの人行き先を失くしてしまいますよー?」
セレンが口を尖らせると、シグリィは少し沈黙してから、
「……大丈夫だ。そんな気がする」
「シグリィ様にしてはあいまいな判断ですねー」
「私は万能じゃないんだ」
そうですけど、とセレンが不服そうにつぶやく。
シグリィは微苦笑した。
「……私だって、助けられる人間全員助けたいさ」
カミルの視線がさっと窓に向いた。
鍔鳴りの音に、ラディアはぎくりとする。
「な、なんで剣なんて抜くんだい」
「何のために私が残されたと思っているんですか」
「そんな―意味なんかないじゃないか」
「意味はありますよ。シグリィ様のなさることはいつも」
何という信頼関係だろう。ラディアは言葉を失った。
カミルはぐるりと家の中を――いや、壁を透視するかのような目つきで家の外を見回して、
「二十五人」
とつぶやいた。
「ちょ、ちょっとお待ちよ。誰がここに来てるって言うんだい」
「イドルさんはおそらく、あの後シャンネス家には帰れなかったでしょうね」
「そ、そりゃあ……」
「イドルさんが戻らなかった場合、シャンネス家はどんな行動を取るでしょう?」
「―――」
「二十五人。相手は全員朱雀。参りましたね、家が破壊される可能性が多すぎる」
「あ……っ」
ラディアは必死のていでカミルの腕にしがみついた。
「お願いだ、旦那が護ってきた家なんだ、壊さないでおくれ」
「私はそうしたいのですが、いかんせん敵が」
「頼むよ。頼むよ!」
「手は尽くしますが」
しゃん! と青年は剣を抜いた。思わずラディアはひっと飛び上がった。
「相手の数からして、迎え撃つしかないので」
「朱雀が相手じゃあ、遠距離攻撃しかしてこないだろう!」
「敵の目的は?」
言われて、ラディアはぐっと息を呑む。
「ま、まさかあたしかい?」
「イドルさんが最初何をしにきたか忘れたのですか」
「そんな馬鹿な! シャンネス家が今さらあたしに何の用だい!」
「タイミングからして、例のものだと思うんですがね」
「………」
頬を汗が伝った。あれのために、今シャンネス家は自分を求めている? なぜ。もう切り離した縁じゃないのか。
いくら、シグリィたち三人組が失敗したからと言っても。
そこまで思って、ラディアは青年に再度つかみかかった。
「あ、あんたたちが悪いんだよ! 失敗なんかするから!」
「そうですね。申し訳ありません」
「あ、謝りゃ済むって問題じゃないんだよ!」
「分かっています。これからその失敗を埋めるために、あとの二人はシャンネス家に行き、今ここに私はいます」
「あんたひとりで二十五人も相手に――」
言いかけて、ラディアは思い出した。彼がその気になれば、城を突破するくらいたやすいでしょう。
あの言葉は真実なのか? 冷や汗があふれ出る。
青年が舌打ちした。
「だめです。家が破壊されます」
「―――!」
ラディアにも分かった。彼女の肩の《印》が共鳴して熱い。これは誰かが、《印》を発動させようとしている証拠だ。
そして朱雀の《印》を持つ者がもっとも得意としていることは。
破壊。
再び玄武の《印》の力で姿を消して、シグリィとセレンは裏口の使用人用木戸からシャンネス家の屋敷に入った。
そろそろこの街も寝る時間になるのか、先刻入ったときよりもそこにいた使用人は少なかった。けれどいなくなったわけではなく、
「うわっ! また戸が勝手に開いた!」
「落ち着け落ち着け! 風だ、風!」
「……外、風吹いてないぜ?」
「見えない風なんだ!」
半狂乱で訳の分からない意見まで飛び出す。風が見えないのは当たり前だと思うのだが。
見えない風、もとい見えない人間、シグリィとセレンは急いで使用人の厨房を抜けた。今は急がなくてはいけない。夜明けが来たら色々と面倒だ。
廊下に出る。背後に厨房の使用人たちの悲鳴を聞きながら戸を閉める。セレンが杖の先端に灯火を点けた。廊下が明るく照らされた。
ひい、と悲鳴が聞こえた。
見やると、廊下の先に使用人がいた。灯火にまで透過の術をかけていないので、彼女には火の玉でも突然現れたように見えたのだろう。
彼女は身を翻してぱたぱたと逃げていった。
「まずいかな」
シグリィは腕を組んだ。「他の使用人を呼ばれたら、精神集中ができなくなる」
「またあれをやる気なんですか?」
「あれでないと目的の人物を見つけられない。幸いイドル氏から目的の人物の気配をつかめたからな、使わない手はない」
セレンの不安気な様子をあえて無視して、
「いったんこっちへ行こう」
と使用人が走っていった場所と反対側へと走る。
すると、廊下がだんだん広くなっていき、だんだんと壁の装飾が豪華になっていき、ところどころに置いてある花瓶の花が華やかになっていく。明らかに、使用人専用の場所を抜けた証拠だった。
シグリィは一度足を止めてから、また歩き出した。セレンは何も言わずついてくる。
やがて。
「セレン、火を消していいぞ」
「あ……はい」
セレンの灯火を消しても、充分明るい場所まで出た。
広い広い場所だった。一階から二階まで吹き抜けになり、正面玄関らしき場所からまっすぐ行ったところには、二階に続く階段がある。どこかの城のような造りだな、とシグリィは思った。
そう思ってから――
ふと考える。シャンネス家……
この家の歴史は?
「すまないセレン。戻る」
「え?」
セレンの当惑した声を無視して、シグリィは足早に今来た道を戻り始めた。
向かうは書庫。あそこは使用人が走り去った方向にあったはずだ。
セレンの気配を背後に感じながらまっすぐ歩いていくと、
「こっち! こっちですよ〜!」
シグリィは舌打ちした。やっぱりあの使用人は他の人間を連れてきた。しかも彼女に連れられてぞろぞろやってきたのは、朱雀の《印》を持つ男やら女やら。
面倒だ、さてどうしたものか。
「セレン」
「はい」
「……怪我しない程度にやれ」
えー、とセレンが驚いたような声を出した。
「そんな、乱暴な」
「……お前に言われたくないんだが」
「シグリィ様、急いでらっしゃる?」
「急いでる。これ以上なく急いでる」
「そうですか」
なら遠慮なく。そう言ってセレンは杖を構えた。
杖の先端に力が集結していく。
なんだなんだと、目の前の使用人たちが騒ぎ出した。彼らの《印》が共鳴しているはずだ。
「怪我しない程度に―っと! 限りある風に力を渡せ! 烈風!」
勢いある風が生まれ、使用人たちを真正面から襲い、吹き飛ばした。
ドミノ倒しのように倒れた使用人たち。一番後ろにいたものはしたたか後頭部を床に打ちつけたようだが、絨毯があるから問題ない。
シグリィは彼らの上をひょいと飛び越えた。
「あ、シグリィ様ずるい!」
セレンも続けて飛んだ。しかし、
「あぎょっ!」
彼女の履いているヒールのかかとが、使用人のひとりの肩を踏んづけた。
「あ、いっけなーい」
「……骨が折れるぞ……」
シグリィは顔を覆って呆れると、今は気にしている場合じゃないと無情にも肩を押さえて悶絶している男を無視することにして、セレンの手を取り再び走り始めた。
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