(――見つけた)
屋敷の二階、北側の部屋。
東部や西部、特に北部では、南側の部屋ほどいい部屋なのだが、南部に関して言うなら違う。南部の南側の部屋は暑すぎて、一番場所が悪いとされている。涼しい北側の部屋が重宝されるのだ。
(さすが……現役を引退してもいい部屋にいるな)
彼の神経は部屋の様子をも脳裏に映し出す。集中力が必要だが、その分クリアになって都合がいい。
部屋の中で腕を組んで、いらいらと歩き回っている男がいる。ダークグレーの髪を何度もかき回したのか、乱れ放題だった。
ソファには中年の女が座って、巻き髪の先をいじって不安そうにしている。
(ダーグ・シャンネスと……その奥方か?)
そう思った瞬間。
ふいに何かが視界に映って、神経の先端が爆ぜた。
「あ……っつ!」
一気に術が解けて、シグリィはその場に膝をつく。
「シグリィ様!?」
セレンが振り向いた。そしてシグリィの様子を見て、慌てて駆けてくる。
「触るな!」
シグリィは彼女を寸前で手で制した。
「触ったら二人して吹き飛ぶぞ……!」
セレンはぎくりと足を止めた。
「シ、シグリィ様……」
少年の体からしゅうしゅうと湯気が立ち昇る。シグリィは額に手を当てて、荒い呼吸をした。
「馬鹿な……」
「シグリィ様、大丈夫ですか? シグリィ様!」
「ちょっと待て、考えをまとめさせてくれ」
セレンに向けていた手を下ろし、その手を床につく。ここの床は冷たい。熱を奪ってくれる。
冷えていく体も忘れて、シグリィは今自分が置かれた状況に考えを巡らせる。
今のは間違いなく――
力のショートだった。
ダーグでもない。その奥方でもない。別の何かと。
その上、
(玄武の力だった――)
その力はイドルとショートしたときさえも超えてシグリィの力を跳ね飛ばした。
ビジョンはクリアだった。
鮮明に、残像をシグリィの脳裏に残していた。
手がやけに冷たくなったと、シグリィはそのときようやく気づいた。床から離し、額に当てていた手と合わせる。温度差が怖いくらいに彼の身に染みる。
「ラディアさん……」
その名をつぶやいていた。
セレンが、心配そうに顔をのぞきこんでいた。
「ラディアさんがどうかしましたかー? シグリィ様」
「……どうやら私たちは、徹底的に彼女に利用されているらしい」
――あの人のところに行くのは、まだ……
あの言葉の意味が、最初に思ったものとは違うものとなってシグリィの頭の中で回り始める……
イドルは屋敷の前で、力同士がショートし、火花のようになって散るのを見ていた。
(玄武の力――同士!?)
こんなところで三人目四人目の玄武の者を見ることなどそうないだろう。片方はあの少年に違いない。
そしてもう片方は、……自分だ。
イドルは知っている。屋敷の中に自分の力≠ェあることを。
力≠こめた、あるものがあることを。
安堵感が体に染みこんだ。ようやく、道が見えた。
大丈夫だ、自分はこの屋敷に入れる……
当然だ。
あれを護っていたのは――自分なのだから。
「な……なんだ?」
ダーグ・シャンネスは、その異変に瞠目してテーブルの上を見つめていた。
「何が起こった? おい、ネラ」
「あたしだって分からないわよ、ダーグ」
ネラは怯えている。怯えてテーブルの上を見つめている。
今――テーブルの上には、
ひとつの手鏡が置かれていた。
鏡面を下向きにして置いてあった。今、その下側からうっすらと煙が立ち昇っている。
二人の目の前で、この手鏡の真上、大きな火花が散った。
金持ちの彼らは観光で見に行ったことがある。そうまるで東部名物の花火のような――
ふと鼻につく異臭に気づきよく見ると、手鏡の周辺だけテーブルが焦げていた。
そして次には、
カタ、カタカタカタ……
手鏡がひとりでに動き出し、ネラがびくっとさらにソファにくっついた。
ダーグのこめかみに血管が浮いた。彼のたくましい手が乱暴に手鏡を掴み、鏡面を顔に向けたダーグは真っ赤な顔で怒鳴りつけた。
「いい加減にしろ、ジアデル・パール!」
手鏡の震えは止まらない。
手鏡の中は相変わらず灰色の煙がたちこめ、誰かがうごめいているかのような気配がする。
もうやめましょうよ、とネラが震える声で言った。
「もうその手鏡は捨てましょうよ、ダーグ! とうていあたしたちが扱えるシロモノじゃなかったのよ!」
「今さらそんなわけにいくか!」
ダーグは忌々しそうに何度も手鏡を乱暴に振った。ひい、とネラが両頬に手を当てて悲鳴を上げた。
「やめて、やめて! そんなことして、その男が出てきたらどうするのよ!」
「出てくるわけがあるか!」
「分からないじゃないの! ああ、お願いだからやめてダーグ!」
「お前は黙っていろ!」
くそ、くそ、とダーグは地団駄を踏む。
「イドルはどこへ行ったのだ! 奴が帰ってこないから私兵をラディア・パールの元へとやったのに、奴はいまだに戻らん! どうなっているのだ!」
「申し訳ございません、旦那様」
声が聞こえて、シャンネス夫妻ははっと振り返った。
音も立てずに、そこにイドル・シュナーディカが立っていた。
「貴様! 部屋に勝手に入るなと……!」
「お待ちください旦那様」
しっとイドルは唇に人差し指を立てる。
「……例の侵入者がまたこの屋敷に来ています」
「なんだと……!?」
ダーグは目をむいた。しっと再びイドルが指を立てる。
「騒いではなりません。……動揺を相手に見せてはなりません。敵は探知能力に長けています。おまけに相手の心を読む力にも」
「な、なぜそんなことを知っているのだ」
「……直接まみえましたので」
なんだと、とダーグはイドルに掴みかかった。
「それで、お前はむざむざと」
「……はい、取り逃がしました」
ダーグは手鏡を取り落とし、イドルの頬を拳で殴りつけた。
「このうつけが!」
「ダーグ!」
二度三度と殴りつけようとするダーグの腕に、ネラがふらふらと立ち上がり、すがりついて止めようとする。
「やめましょうよ、イドルのせいだけにするのはかわいそうよ。元々、敵にイドルより力量が上の者がいたのは分かっていたのでしょう?」
「……っくっ!」
ダーグはイドルの襟を押しやるように放した。
イドルは切れた唇から血を拭うと、
「旦那様」
「なんだ!」
「飛んで火に入る夏の虫と申します」
ダーグは怪訝な顔をした。
「何だそれは?」
「北部の格言でございます。南部にはない言葉ですが……夏の夜、明るく燃える火に集まってくる虫は自ら火に飛び込んで焼け死んでしまうのです」
転じて――と北部生まれの男は言う。
「愚かにも自ら危険に飛び込んでくる者のことを申します」
「………」
しばらくその意味を咀嚼するように考えていたダーグだったが、やがてその表情はみるみる内に明るくなった。浮いていた血管がおさまり、逆ににやりと頬が吊りあがる。
「……そうだな、せっかくこの屋敷までおいでくださった客だ……」
盛大にもてなそうじゃないか、と、彼はそう言った。
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