シャンネス家の私兵が撤退した。
裏庭の家畜たちがまだ興奮していることをのぞけば、急に静かになったその場所。
するりとすり抜けていく風は、遮るものがない。あちこちの壁に穴が空いているのだから。
「……ラディアさん、構いませんから……」
「いいからお黙り」
ラディアは椅子に座らせたカミルの背中の手当てをしていた。
大分ラディアの魔力は相殺されたと言ったが、それにしてもひどい火傷だ。薬草でできた塗り薬をすりこみ、上から湿布する。そして、包帯を巻いた。
「代わりの服は……と」
タンスの一番下の段を開く。
そこは定期的に整理される、大切な場所だった。
死んだ夫の服……
夫も背丈はあったし、細身だったがカミルは引き締まった体つきだから大丈夫だろうと踏んで、その中の一枚を取った。
「ラディアさん」
その様子を見て、慌ててカミルが制止の声をかけてくる。「大切なものでしょう。私は構いませんから」
「いいんだよ。……きっと主人もそう言うさ」
「しかし」
「強情で、負けん気が強くて、心根が優しい。あんたとそっくりさね。ほら、着られるかい?」
カミルが戸惑いながら腕を通すと、思った通りぴったりだった。
ラディアは笑った。
「あはは! あんた、軍国生まれのわりには、こんな村人服がやけに似合うねえ」
「はあ……」
青年は落ち着かなさそうに、他人の服を着ている。そんな彼の肩をぺしぺしと叩き、
「ありがとうよ、さっきは。助けてくれて」
「いえ、それは私の」
「仕事とでも? でも礼ぐらい言わせておくれよ」
自分でも信じられないぐらい、素直な気分になっていた。台所に行き、薬草茶を淹れる。ひとり分ではない――二人分。
「あんたも飲みな。怪我しているときには内側からも強くならないといけないからね」
椅子に座っているカミルの前に、コップを置いた。
「ありがとうございます」
カミルはラディアの微笑を見てから、コップを取り、口に運んだ。
ラディアは破壊されたテーブルの代わりに持って来た小さなテーブルに頬杖をついて、笑って見ていた。この薬草茶は苦い。それはもう苦い。慣れた人間でなくては辛い。自分も夫にすすめられて初めて飲んだときには、不覚にも吐いてしまったほどだ。
しかし。
目の前の青年は、コップ半分ほどを飲み干してふうと息をつくと、
「効きそうな薬草茶ですね」
と口元をやわらげた。
ラディアは笑い転げた。
「そっくりだ! あんた、本当にそっくりだ!」
「は? ラディアさん?」
「あたしの旦那と……!」
笑いすぎで、目尻から涙が出てきた。それを指で拭いながら、ラディアは笑って言う。
「うちの旦那は味音痴でねえ、どんなに苦いものを出されようと平気な顔してたもんさ」
「いや、私は味音痴なわけでは――」
「分かってる! 分かってるけどね――あはははは!」
バンバンとテーブルを叩いて、笑って、笑って。
コップが倒れそうになるのを、困ったような顔をしながら、カミルが受け止めている。
――夫に似ている?
それは幻想?
まったくの他人にでも、夫の面影が見える。それがこんなに嬉しいなんて。
「――まったく、妙なもんだよ」
ラディアは笑いすぎで痛くなった腹を押さえながら言った。
「元はと言えばあの嬢ちゃんのせいで出会った縁。これがこんなに深まるとはねえ」
「……あなたが選んだ縁だと思いますよ」
カミルはつぶやくように言った。
ラディアは虚をつかれて、目をぱちくりさせた。
「あなたが必要と思って我々を選んだ。必要な縁だったんですよ」
「………」
「今ではどうやら、我々にとっても重要な縁になったようですしね」
「そうなのかい?」
ラディアは不安に思って訊く。この縁は――自分が一方的につないだものだと思っていた。
そうですよ、と青年は言った。
「誰もがあなたの経験に共感する私たちですから。何かしら、意味があるのでしょう」
「……そう、か」
つながった縁は簡単に切れないと。
彼はそう言った気がした。
嬉しかった。
同時に、それは最悪の事態でもあった。
縁が、切れない――
(……本当はそんなことは、望んじゃいけないというのに)
いや、彼らは旅人だ。いくら縁が切れないと比喩的に言っても、いずれは別れる運命だ。
そうだ。大丈夫だ……
そう自分に言い聞かせて、ラディアは笑顔を作った。
「どうだい薬草茶。もっと飲むかい」
「ええ」
カミルはコップを空にして、ラディアに「お願いします」と差し出した。
ラディアはくすくすと笑って、
「このお茶をおかわりした人間は、旦那以外では初めてだよ」
コップを持って立ち上がる。カミルはそんな彼女を見て、微笑ましそうに目を細めた。
「ラディアさん、よくお笑いになるようになりましたね」
「え? そうかい?」
「ええ」
にこりと青年が微笑むと、かあっと顔が熱くなった。
この歳になって、なんてざまだ。自分を叱咤して、台所に行く。心なしか足がもつれた。ぎくしゃくしている。
参ったね、これは。ラディアは青年に見えないよう苦笑した。
まるで、旦那に恋をしたときのようだ――
急に、シグリィの感覚がざわめきを捉えた。
はっとシグリィは顔を上げた。まっさきに、セレンの顔と視線がぶつかった。
「家系図は?」
少年の口から出たのはその言葉だった。
「そんな、見つかりませんよぅ」
情けない顔をするセレンの言葉に、嘆息して、シグリィは精神を集中させる。
この広い書庫内に限る限定探知。
目的のものを探して。
アテのない探知だ。あえて言えば、家系図には独特の気配が宿る。何年も書き続けられている、あるいは何回も書き直されている、そんな気配。それだけを頼りにシグリィは家系図を探した。
「――右最奥――」
シグリィのつぶやきを聞いて、セレンが走る。相変わらず埃は立たない。
彼女が右の最奥にたどりついたのを感じ、シグリィは声を上げた。
「向かって右! 一番下にしまわれている箱! その中だ!」
「はい!」
探知は終わった。目を開けたシグリィは、ふらりとめまいを起こして倒れかかった。
しかし額を押さえてこらえる。まだだめだ、まだ――
セレンの声がする。
「ありました!」
「汚すな、破るな!」
「わ、分かってまーす!」
不器用なセレンに任せておけない。ふらっと立ち上がってシグリィもその場所へと向かった。
セレンは箱のふたを開けていた。上等な箱だった。綺麗に金と赤の絵柄が入った、漆塗りの箱だ。
中に入っていたのは、シグリィの予想通り、綴折りの右とじ書物。
セレンが手に取ったのを、
「貸してくれないか」
と手を差し出して、受け取る。そしてぱらぱらとめくっていった。
目を忙しく働かせる。急いで、急いで、目的の項目を見つけ出さなければ。急いで。
(――あった!)
とあるページで、彼のページをめくる手は止まった。
セレンがそのページをのぞきこんで、大量に並ぶ文字を目で追う。
「このページが何か……あっ」
そして彼女も気づいたようだった。
こんな肩書きのついた人間が、シャンネス家の家系図に載っている。
――第十八代マザーヒルズ国王、ルサワ。
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