「残る可能性は……主人かその夫人自身が使っている可能性か」
「シャンネス家の現当主は三十歳です。しかしその父母がまだ家にいると」
「手鏡が奪われたのは二十年前……となると、当主の父母の方かな」
「その可能性が高いのでは」
「隠し事をするにも、二人きりの方が都合がよかったろう。ああ……でも、遣いにきて直接手鏡を奪った使用人がいるはずなんだが」
「そこは分かりません。絶対忠誠を誓っている者がいるのでしょうか」
「私とカミルみたいに〜」
嬉しそうに口をはさんできたセレンの頭を、カミルがはたいた。
シグリィはにっこりと笑う。
「ありがとう。しかしそういう言動は時と場合を考えた方がいいぞ、セレン」
「そうしますぅ……」
叩かれたところを撫でながら、セレンが蚊の鳴くような声で言った。
「さて、閑話休題。一番いいのはその現当主の父母の部屋を探すことかな」
シグリィは腕まくりをする。
「シグリィ様」
カミルの制止の声が聞こえた。心配そうな声だった。
「問題ない。昨日はよく寝た」
「しかし……!」
「これが一番手っ取り早い」
邪魔をするな。片目をつぶって、とんといたずらにカミルの胸板を押し、それから両手を広げて目を閉じる。
カミルがセレンの口をふさぐのが分かった。
体中から枝葉が伸びるように、感覚が伸びていく。
背中にある《印》が、熱を帯びる。
広がる、広がる。感じる世界が広がっていく。
屋敷中に、神経を張り巡らせて。
……すべての生物の呼吸を探っていく。見つけた糸をたぐりよせていく。
あちこちの人間につながっていく。その中から目的の人物と思われる人間を。
……二十年前に。
奪われた手鏡を、持っている人間。
二十年前に少なくとも二十歳になっていたと考え、今は四十歳以上。糸をたぐりよせたぐりよせ、それらしき年齢の人間だけにしぼってさらに気配を読もうとしていたそのときだった。
シグリィははっと目を開けた。
「まずい。逃げるぞ!」
「え?」
「私の手を握れ、二人とも!」
きょとんとしているセレンの手を握ったまま、カミルがとっさにシグリィの手を取った。それで充分だ。つながっていればいい。
シグリィは自分の胸の中央に力をこめた。再び熱を持つ背にある玄武の《印》。
そして彼らは、その場からすっと姿を消した。
イドル・シュナーディカは逃げられたことを感じ取って、くそ、と舌打ちした。
「どうした」
背後では主人がゆったりとワイングラスを手に声をかけてくる。もう五十となった彼の主人は、豪勢なチェアに深く腰かけ、余生を楽しむことに余念がない。
イドルはふうと息をつき、
「……侵入者です」
主人は眉をひそめた。
「誰だ?」
「分かりません。ですが……三人。その内一人がかなりの玄武の使い手です」
「玄武だと……?」
主人の持つワイングラスの中身が揺れた。きらりとシャンデリアの光を反射して、赤い色がゆらめく。
「この南部に玄武の《印》を持つ者が他にもいるというのか?」
「いる……ようですね」
「ふん。北部生まれの人間が、この暑い地に来て何をしようと言うのだか。観光気分か? 倒れても知らんぞ」
主人は鼻で笑った。イドルは黙って聞いていた。
玄武の《印》を持つ者は大方北部人――それが世間の一般的見解だ。なぜなら、生まれた地域によって《印》の種類が変わってくるとは言え、それはあくまで通常。例外ももちろんあり、意外な場所で意外な《印》の持ち主が生まれることもある。それは四神の力は、結局のところ大陸全土を覆っているということに関係する。
しかし――
玄武だけは、違った。
玄武神ラティシェリの加護を受けた者は、北部でさえも生まれることが少ないという。玄武神は人間嫌いだからだというのが、その理由としてあげられている。
そしてそうである以上、玄武の《印》を持つ者が北部以外で生まれるわけはなく、
そしてそうであるからこそ、玄武の《印》を持つ者は例外なく北部生まれだと思われるのだ。
イドルは自分の背の熱を感じる。先ほどの侵入者をつかまえようとしたときに発動した力の余熱だ。
玄武の《印》は背中に現れる。これもまた、玄武神が人間を嫌ったためだと言われている。
イドルは、北部生まれの人間だ。これは異常でも何でもない。
しかし、一年のほとんどを深い雪で覆われる故郷を嫌って北部を出た。できるだけ故郷から離れたかった。離れて離れて―行き着いた先が、この南部だったのだ。
故郷とはまるで違う気候に、苦労したのは当然だ。
彼はなかなか環境に慣れずに、また、若い内に故郷を出たため何の特技も持たず、働き口もなかなか見つからずに、一時期はもう少しで餓死するところだった。
しかし――
仕事口を探して放浪していたところを、彼は妙な男に捕まった。お前は南部人ではないな、どこの人間だ、観光目的でもなさそうだが。
イドルは正直に、自分の身の上を話した。
すべての話を聞き終わった後、相手の男はおもむろに、「服を脱げ」と言った。
上半身を裸にされ、後ろ向きにされ――
男が豪快に笑った。
「そうか、初めて見たぞ。これが玄武の《印》か!」
男の名は、ダーグ・シャンネス。
セアルの街一番の金持ち、シャンネス家の当主……
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