月闇の扉 - くるん
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 何度も言うようだが、シグリィは体が弱い。弱いものは弱いのだから仕方がない。
 それで旅人なんかしているんじゃないと、行く先々の病院や治療院やその他諸々で言われるが、
 ……旅をすることも彼の使命なんだから仕方がない。
 しかも好きでやっているんだから、さらに仕方がない。

 旅の連れのカミルとセレンは、最初の数日こそ看病をしているが、
「……今回は当分起きれそうにない。お前たち、できれば稼いできてくれないか」
 とシグリィはいつも言いつける。
 今回も、二人は渋々とそれに従った。シグリィの護衛がそもそもの仕事でありつつ、個人的な感情としても少年に入れ込んでいる二人である。病院に主を一人置いていくのは辛いようだ。
 心配そうに何度も振り返りながら出て行く二人。
 心配なのはシグリィも同じだ。何故ならあの二人――というか正しくはセレンで、カミルは巻き込まれる――は、しょっちゅう町で騒ぎを起こす。
「今回は無事だといいがな……」
 つぶやいた、その口で激しく咳き込んだ。
 看護師は近くにいないので、誰も近寄っては来ない。せいぜい隣のベッドの太っちょな男が、「うつすなよ」と言いたげに体を離そうとするぐらいで。
 さて――

 どこに行っても病院や治療院というところは入院費用がかかる。
 極力出費は避けたいし、シグリィは宿に戻ることにした。その方が、個室にいることができる。
 今回はどうも咳が止まらないので、人があまりいないところの方がいい……
 特に熱があるわけでもないのに、頭と体が重い。
 ベッドに入り込み、このまま寝てしまおうと決めた。よく眠って、早く元気になろう。

 それからどれだけのときが経っただろう――……

 シグリィの敏感すぎる神経も、こんなときは反応が鈍い。
 部屋の外が、窓の外が、大騒ぎになっていることに、彼はかなりの間気づかなかった。
 ――熱い。
 ――熱い。
 その感覚は――していたのだけれど――
 今日は体調が悪い。そのことが先行していたから、この熱さもそのせいだと思い込んだのだ。
 後からきた熱が辛い。ああ、頭がぼんやりする。
 誰かの
 声が
 する

「火事、火事だよ!」
「おい水、いや砂を――!」
「全員逃げたか――?」
「いや、まだ――」
「火事だ、逃げろーーー!」

 ……かじ。
 ……かじ。かじ。

 ……火事……?

 シグリィはようやく目を開けた。火事? 家事でも舵でも鍛治でもなく、火事?
 意識がはっきりした。
 視界に真っ赤な何かが見えた。
 あれはほのお。炎だ。
 その瞬間は体も軽くなる。とっさに起き上がり、周囲を見渡すと、戸口はもう火で燃え上がっている。
 灰色の煙が天井を覆っていた。
 まずい。この部屋はすでに火で閉じ込められている――!

 ベッドから下りる。カミルと同室の部屋。彼の荷物がまだ焼けていなかったため、それを手にした。
 そんな余裕はないだろうと言われようが――
 シグリィには算段があった。
 部屋の中。唯一の逃げ口があるとすれば窓だ。シグリィは窓を目一杯開ける。
 下で、それが見えたらしい、
「ああ、お客さん……!」
 慌てたような声は、あれは宿の女将か。
 下を見る。ここは三階。
 シグリィはまずカミルの荷物を下へと落とした。
 そして窓に足をかけた。

 がたんがたん、と音がする。
 部屋の戸が崩れ落ちた音。
 背中が熱い。猛烈に熱い。わずかに悪臭もまじっている。
 息が苦しい。吸える空気が今極端に減っている。
 早く逃げろ。
 逃げるんだ。
 そう自分に命じたシグリィは、迷うことはなかった。

 彼は窓の外へと、身を躍らせた。

 ひい、と下で何人ものざわめきが起きる。
 宙を落下しながらシグリィは瞬時に考える。しまった前身から落ちる。このままでは首を護れない。
 今は病気のせいで、《印》の力をアテにできない。
 となれば。
 ――自分の身体能力だけが頼りだ。

 風の抵抗を受ける体。
 まだ地面に落ちるまで、若干の余裕。
 シグリィは、
 くるん
 と空中で丸まって回転した。
 背中が下になるように。
 あとは受身を取るだけ、もう心配ない――

 下で、歓声が上がった。

     *****

 騒ぎを聞きつけてきたカミルとセレンの反応はとてもとても大仰なもので。
「シグリィ様……!」
 セレンはシグリィを腕の中に抱いて、半泣きになった。
「よかった……! 話を聞いて、心臓が止まるかと……」
「シグリィ様、よくぞご無事で」
 カミルは跪きそうな、彼らしい喜びようだった。
「助けにいけなくて申し訳ございません」
「……気にするな。私には大したことじゃなかったから。それより」
 シグリィはぽんぽんとセレンの体を軽く叩き、
「ちょっと……寝床探してくれない、か……」
 そのままがくっと気絶した。
 結局彼は病院へ後戻り。
 前と何が違ったかと言えば、
「なあなあ、噂の宙返り少年に会わせてくれよ〜」
「だ・め! シグリィ様はご病気なの!」
「嘘つけよ、そんなアクロバットできんのに病気なもんか。隠れてるだけだろ? 会わせろよ〜!」
「あなたの頭吹っ飛ばすわよ!」
 と勘違いな野次馬たちにセレンが爆発したり、
「ねえね……あの人に、お花、あげたいな……」
 と見舞いに来る子供が異常に増えたり――もちろん半分は野次馬な親の言いつけで来ているだけだ――、
 カミルとセレンがのきなみ断るため、その病室の入り口では騒ぎになり、病院に苦情を言われ、
 すべて聞こえているシグリィは、ベッドの中で深くため息をつくのだった。
「……安心して眠れる場所はないだろうか……」

 ちなみに彼の病室は六人部屋だったが、当然ながら彼以外に入院患者はいなかった。
 あまりの騒がしさに一日で逃げ出した、他四名を思い出し、シグリィはさらに深くため息をついた。

 ―FIN―

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