Without Wings
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〜13〜


「お前は、結局どうしたいんだ?」
 ――問われて、純はしばらく返事をしなかった。
「井波」
 強く、名を呼ばれ。
 うるせえよ、といつも通りにすげなくかわせば良いことだった。
 ――なのにそれが出来なかったのは、何故だったのだろう……

 “私も、私のやりたいようにするから。”
 そう言って出て行った未来。
 ――あとに残されたのは、空虚な時間。

「私は……」
 青年教師とともに残された教室で、純はぽつりと呟いた。
「本当に……ほっとしているんだ……」
 青年は何も言わない。
 けれど、聞いていないのだ――などとは決して思わなかった。
 だからこそ……心が苦しい。
「ほっとしてる。あの指輪がなくなって。もうこれ以上、人間の心の闇なんか……見なくて……済むから……」
 それは本当の心。
 それをもらすことに、なぜ苦しみを覚えなくてはいけない?
 青年の視線を感じていた。純は決して彼の方を向きはしなかったけれど、その視線の痛さは確かなものだった。
 ――なぜ、痛い?
 葛西は責めていない。ただ聞いているだけだ――
「……それで」
 葛西は静かに、もう一度言った。
「お前は、どうしたいんだ……これから」
「――うるさい!!」
 胸元を両手でかきむしりながら、精一杯強く叫ぼうとした。
「あんたには関係ない! どうして私を縛ろうとするんだ――私はもう指輪を持っていないんだ! もうあんたたちとは関係ないんだ――」
「なら、どうして今お前は混乱しているんだ」
 それは信じられないほどに、淡々とした問いだった。
 少なくとも、普段のこの青年教師からは考えられないほどの。
 ああ、そうか。
 ――だからこの男は、私たちのトップなんだ……
「お前の言う通りだよ。今はもう、おれらがお前につきまとう理由がない。だから、お前自身のことはもういい。ただ、おれが気になるのは」
 心配なのは。
 ついさきほど、この教室から出て行った娘。
「――遠伸が、危険だということだ」
 《火》の者。五属性中、もっとも扱いにくい属性。その危うさ。
「だから、まだお前を放すわけにはいかない。この状況――もし遠伸が危機に陥ったなら、救えるのはお前だけなんだからな」
「どうして」
 純は、しぼりだすように言った。「どうして……私なんだ……」
 葛西は――
 初めて、にやりといたずらっぽく笑った。

「お前が一番よく分かっているんじゃないのか?」

 心の中でずっと否定しようとして――しきれなかったものを、外から知らされて。
「―――」
 深く、息、ひとつ。
 自然と、唇の端が皮肉気に上がった。
「――らし……」

 そして彼女は走り出した。
 今の今まで、無視していたものを求めて。
 否定し続けていても、消えなかった感覚を求めて。
 ずっと自分の隣にあった、
 ――《地》の指輪の鼓動を求めて。

***

 校門から、二人の人間が駆け入ってくるのが見えた。
「純……。先生……」
 呟く未来の声は、不思議に穏やかだった。
 炎は彼女のすぐ背後にあった。
 その熱は、彼女の肌から体の中へ染み込んでくるようだった。
 煙をまったく吸い込んでいないとは、彼女は思っていなかった。
 常人ならば……とっくの昔に失神していてもおかしくない。けれど、自分はまだ立っている。
 ――手元にない《火》の指輪は、それでも自分を守ってくれているのだろうか。
「………」
 未来がいるのは四階。真下に、一人の少年がうずくまっているのが見える。
 自分がこの教室から助け出した慎也――
 頭を抱えたまま、決して上を――この教室の惨状を見ようとしない。きっと震えているのだろう。
 仕方ないよね、と未来は小さく肩をすくめる。
 ――大事に握りしめた右手の中に、一つの感触がある。自分のものではない、黒水晶の指輪。
 そして視界の端に見える友の姿……。
 手の中で、指輪がうずいているような気がした。
 ――早く戻りたいと。

***

「池上……!」
 駆け寄り名を呼んでも、うずくまったまま慎也は顔を上げようとしない。
 純は焦燥にかられながら校舎を見上げた。
 四階の窓に見える生徒会長の姿。
 彼女の後ろに、生々しい炎があった。
 馬鹿な、と純は思う。《火》の術者である彼女なら、あれほど近くにいれば炎を消すことぐらいたやすいはずなのだ。
 なのにどうして、炎は消えないのか。ますます膨れ上がっているのか……
 思って、とっさにうずくまったままの少年に視線を下ろす。頭を抱える少年。その片手に、何かが強く握られているようだった――
 純は声を張り上げた。
「顔を上げろ!!!」
 慎也は体を震わすだけ。
「こっちを見ろと言っているだろう……!!」
 とうとう純は、強引に慎也の体を引き起こした。胸倉をつかみ、自分の目線近くまで引き寄せる。
 慎也は泣いていた。
 うるんだ視界には、いったい何が映っているのか。何かをつかんだ右手が、ガタガタ震えている。
「……何を、持ってる」
 まっすぐと目を合わせたまま、純は低く問うた。
 慎也は首を振った。
 すべては、明らかだった。
 未来はこの少年を救うために、自分の指輪を手放したのだ。
「……あんの、バカ……」
 吐き捨てるように呟き、純は慎也の胸倉を放した。
 慎也の力ない体がそのまま崩れようとするのを、葛西が抱きとめた。
 そんな少年を、見下ろして。
「……なぜ、目をそらす?」
 見つめるのは、ぼやけた瞳。これ以上なくたよりない視線。
 慎也の唇がかすかに動く。
 “怖い”――
 純は目を細めた。
「お前は、遠伸を尊敬しているんじゃなかったのか?」
 ――尊敬。憧れるもの。
 この少年はかつて、自分の憧れた兄が火によって絶望にまかれた瞬間を知っている。
 今、校舎を見上げることが、彼にとってどれほどの痛みをともなうことなのか――


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