| Without Wings 〜2〜
「あれー、純まだいたの?」 ――戸口を開くなり、生徒会長が軽快な声を飛ばしてくる。 午後六時。とっくに授業が終わったこの時間まで、生徒会議室で一人ぼんやりしていた井波純は、遠伸未来の姿を一瞥してから――すぐにそれまでと同じ、窓の外の空に視線を戻した。 「どうしたの? 何か用あった? ひょっとして私に?」 疑問符ばかり投げかけてきながら、未来が歩いてくる気配。 「……別に」 ぼそりとした声で呟く。未来は聞き逃さなかった。――時々思うのだが、この生徒会長はずいぶん耳がいい。 「別にって。純っていっつもさっさと帰っちゃうじゃない。なに、何かあったの?」 彼女自身の荷物が置いてある机を通り越し、未来は窓際の純の席までやってくると、何の遠慮もなく純の前の席の椅子の向きを変えてすとんと座った。純と向き合うように。 視線を夕暮れの空から生徒会長に移すと、未来の眼鏡顔はやたら機嫌のよさそうな顔でこちらを見ていた。 純はためらってから――ぽつりと言った。 「報告――長引いたんだな」 「あ、なに? やっぱり私を待ってた? 帰りのボディーガードやってくれるとか。嬉しいけど、ただ働きでよろしくね」 「……。もういい」 うんざりした気分で再び視線を窓の向こうにやると、未来はごめんごめんと純の肩をつかんで、彼女の方を向かせようとする。 「――緊張の反動で報告会の後って必ずおしゃべりになるらしいのよね。まあ普段の知的で聡明な生徒会長とのギャップを楽しんでちょうだい」 「いや、私から言わせればお前はいつも果てしなく弾丸トークなやつなんだが」 「うそぉ。主観の相違ってやつ?」 「違う」 きっぱり否定すると、未来は気を悪くするでもなくけらけら笑った。……気を悪くする以前に、この会長はすべて確信犯で言っているのだろうが。 いつもと変わらない。普段はどこまでも調子のいい、その気さくさで生徒に絶大な人気を誇る娘。そして同時に――彼女に“聡明”の二文字を飾ることは、決して間違っていないことを、純は知っている。だてに生徒会会長などやってはいないのだ。 遠伸未来という少女と出会って半年。純にとって彼女は、いまだ底知れない存在だった。 「で、結局どうしたのよ」 未来はどこまでも気楽に訊いてくる。眼鏡の奥の瞳に、報告会という、誰もが避けたがる面倒な行事の後の疲れは見えない。見えないが―― 「……悪かったな」 純は目をそらしながら、言った。「私の問題のせいなんだろ、遅くなったのは」 「あら、よくお分かりで」 未来はあっさり認めた。「んもー、厄介よね頭かたい連中は。あーゆーの相手にしてるとこっちまで石化していくような気がするわ」 「私が処分されるのは当然なんだ。相手を病院送りにしたんだからな」 「そうそう、まぬけよねーその男! 一度負けた相手に再度挑んで、あげく病院よ。男のプライドってかっこ悪いー」 「……お前、かなりひどいぞ……」 「だって本当のことじゃない」 あっけらかんとそう言った、かわいい顔をして意外と辛口な生徒会長は、続けてふと真顔になる。 「……この問題がひきずったのは、要するに処分なしにした生徒会のせいであって。別に純のせいじゃないじゃない?」 「そういう問題じゃ――」 「あえて言わせてもらうなら、たしかにケンカ事はやめてほしいわよ。あなたが怪我をしてるのはいつものことだけど、さすがに驚いたんだからね――腕からだらだら血なんか流してるのを見た時なんか」 「………」 純は半眼になった。「そーゆーことを言いながら、いつも私を番犬呼ばわりしてるのは誰だ?」 「だって頼もしいんだもの、風華一のボディーガード様v」 突然ころっと態度を変え、両手を握り合わせて甘えるような顔をする。 「本当に、てめーは……」 わけが分からん。そんな思いを今日もかみしめて、純は片手をふりその話題を打ち切った。 本気で申し訳なく思い、詫びるためにこんな時間まで学校に残ったはずなのだが、なんだか謝るのも馬鹿らしくなってきた。 会話が消えた代わりに、教室内に細いメロディーが流れ始める。 ――未来があまりうまくない口笛を吹きながら、眼鏡をはずしていた。 「……おい」 「んー」 「常々思ってるんだけどな」 「んー」 「報告会のたびにかけてる、その 「決まってんじゃない」 未来はびしっと親指を立てた。「聡明な生徒会長ってのは、眼鏡をかけてるもんなのよっ」 「………」 「で。帰りのボディーガードしてくれるのよね? ただ働きで」 「………………」 どうしてこの生徒会長と、付き合い続けてこれたのかという不思議を、しみじみかみしめながら―― 純は渋々、席を立ち上がった。 |
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「葛西先生」 ――講義室から職員室へ帰る途中。廊下で呼びかけられ、葛西はのんびりと振り向いた。 背後に、ひどく苦い表情をした中等部の教頭が立っていた。 自分に何の用かは大方予想がついた。けれど葛西は涼しい顔で、 「はあ。何か?」 「何か、じゃない。全く君は――」 「報告会の苦情なら一切受け付けませんよ。遠伸同様、僕も本当のことを言っただけですから」 軽い調子で言いながら、何となく頭をかく。彼はこの学園の男性教諭の中で唯一、髪を伸ばしていた。身だしなみについては、清潔でさえあれば特に取り締まっていないこの学園だからこそ許される髪型だ。 ただ、伸ばしっぱなしでは注意されるので首の後ろでまとめてはいるが――そもそも、面倒くさいから髪を切らないというタイプの彼は、髪型など普段から構ってはいない。そんな彼は現在、髪を洗うのが面倒くさいという葛藤を抱える身である。 ちなみに学園の女子生徒には、その髪形がいたって評判よかったりもする。いいとこのお嬢様ばかりとは言え、それなりに若者思考なのだった。 ――教頭は葛西の髪を一瞥してさらに苦い顔になってから、「葛西先生」と繰り返した。 「……我々教師の立場を少しは分かってもらいたいものだが」 「分かっていますよ」 葛西は即答した。一拍おいて、ゆっくりと続ける。 「……ただ、それ以上に僕は、《闇》のことを理解しています。この学園にとって一番重要な事柄ではないですか?」 「それは――」 「この学園に、《闇》が出やすくなった。そしてそれに対抗できるのは、我々の中には中等部生徒会しかいない。とりわけ井波は、メイツの中でも強力だ。最強と言ってもいいですね。《闇》を浄化する力においては――」 そこまで黙って聞いていた教頭は、小さく舌打ちした。いまいましそうに。 「……なぜ、よりによってあの生徒なんだ? 他の四人のうちの誰かなら、問題にはならなかった――……」 「さてね」 肩をすくめ、葛西は体の向きを教頭から職員室へ戻る道に翻した。肩越しに教頭を見やり、 「まあ、井波の起こす事件が減るよう我々も善処しますよ。しばらくは、目をつぶっていてもらえますか」 「………」 もうそれ以上の反論はなかった。葛西はひょこっと頭をさげ、のんびりと職員室への道を歩き始めた。 |