Without Wings
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〜6〜


 大好きなことをやり続けるために、絶対に必要なものがある。
 だが、それは常に自分の手元にあるとは限らない。たとえある・・のが当たり前のように思えるものでも――どんなきっかけで突然失われるか。それは誰にも分かりはしないのだ。
 そして、それは予測不可能だからこそ――

「――ショックだったんだろうね。そりゃそうよね――」
 帰宅のための道中、未来は独り言のようにそう呟いていた。
「孝也クンはね、本当にマラソン選手として将来有望だったのよ。彼自身が――まだ十四歳だったけど、走ることに情熱を持ってた。だから、」
「………」
 彼女に腕をつかまれ、体重をかけられるようにしながら、純は黙って聞いていた。
「……お医者さんに“もう二度と走れないかも”って言われた時は、それはもう……うん、世界が真っ暗になったんだと思うのよ」
「そうかもな」
 あいづちは短く。――こうして話を聞かされても、実際池上孝也という人物を知らない自分には、下手なことは言えない。
 そんな純の考えを察しているのかいないのか、未来は純にそれ以上を求めようとはせず、ただ話を続ける。彼女らしくない、神妙な口調で。
「だからね。孝也クン……荒れたのよ。暴走族とかにも関わるようになっちゃって……自分の足で走れなくなった代わりを、乗り物に求めたのね。慎也クンはいつもお兄さんと一緒だったから、彼もそういうのに巻き込まれて……でも、それじゃ満たされなくて。《闇》に……」
 言葉が途切れる。
 前方に、未来の家が見えていた。
 未来は、ぴょいと純から離れて、うんと体を伸ばした。
「でも、孝也クンは乗り越えたのよ。《闇》から解放されて――もう一度、走るためにリハビリを始めたっていうのは知ってたけど……まさかもう復帰するなんてね。それも優勝争い!」
 その声は快活だった。心底嬉しそうな。
「転んじゃったっていうのは、やっぱりまだ足に負担があったんだろうけど。そんなことはモンダイじゃないのよ」
「……そうだな」
 事態を大体理解して、純はおとなしくうなずいた。そういう事情か――なら、あの慎也という少年に、「タチの悪い負け惜しみ」などと言ってしまったのはうかつだったかもしれない。
 彼は、ただ兄が大切だったんだろう――その態度には色々問題があるにしても、それだけはたしかだったのだろう。
「んじゃ。ここまでありがとう、純」
 振り向いて、未来が笑顔を向けてくる。
「ん」
 純は軽く手を上げて応えた。また明日――未来は身を翻し、軽快な足取りで家へと帰っていく。
 その後姿が消えるまで、純は道のまんなかに立ったまま見送った。
 ――生徒会長の影が消える。
 それを確かめて、純は一つため息をついた。
 暗くなり始めた往来。穏やかな静けさ。
 けれど純は、緊張を解かなかった。
「――で。何の用だ?」
 立ち止まったまま、背後に声を送る。
「……気づいてたんだ。さすがだね」
 言葉こそ誉めていたが、口調はひどくそっけない声が返ってくる。
 純はゆっくり振り向いた。
 道の角から、少年が姿を現した。――池上慎也。
 変わらない、鋭い視線。敵対心を隠そうともしない。
「さっきから、何なんだお前は? 私に何か恨みでもあるのか」
 うんざりしてそう言ってしまってから、
「……たしかに、私も言いすぎたけどな」
 気まずくつけたす。
 慎也は表情を変えなかった。さぐるような目つきのまま、しばしの沈黙。
 純は待った。このまま無視して帰ることもできたが――どうにも落ち着かなかった。
 やがて。
 慎也は口を開いた。たった一つの問い。
「あんたは、ひとは翼なしで飛べると思う?」
「………?」
 純は顔をしかめた。「何を言い出したんだ?」
「答えてよ。《地》属性だっていうあんたの言葉が聞きたい」
 慎也の瞳は真剣だった。
「《地》属性……」
 その単語に、純はますます苦い顔をする。
 未来と慎也の会話から察するに、未来は指輪などの知識を慎也に教えていたらしい。
 だから、《地》に反応するのか?
 五属性中、最強と言われるそれに。
(――そんなもんは、幻想だろうが)
 “最強”の一言を、純は胸中で吐き捨てる。
(属性に上も下もねえ。だから、私は、私なんだ――)
「翼なしでも、ね」
 純は腕を軽く組んで、半眼になった。
 下手なことは言えない――真っ先に思う。
 だが……。自分の本音を隠してきれい事を並べることが、この場において意味があるのか。
 だから……
「――そもそも、ひとが空を飛ぶ必要がないだろう」
 はっきり言った。
 まっすぐと、少年の目を見たまま。
 ――少年の瞳が、細められた。表情が消えた――再び空気を支配する沈黙の後、
「……分かった」
 慎也はいったん目を閉じた。そしてすぐに開き、
「《地》属性の力、見てみたい」
 と唐突に言い出す。
「……だから、どうしろって?」
「遠伸先輩には言わなかったけど。最近俺の身近で《闇》に憑かれたやつがいる。兄貴のより弱い感じだけどさ。まだ正気あるし――それを、あんた一人で始末してよ」
「………」
「時々とち狂って手がつけられなくなるんだ。明日。この時間に、あの公園で。連れて行くから」
 一人でさ――慎也は強調した。
 そして、他の誰にも言うなと、言下に告げる。
「……他のひとたち、人が好いから。聞いたら加勢に来るんだろ。それじゃあんたの力が分からない」
「ずいぶん勝手な話だな」
「どうとでも言ってくれればいいよ。こっちだって真剣に知りたいんだから。じゃあね」
 言うだけ言って、慎也は身を翻す。
 純は呼び止めなかった。
 ……そんなことをしても、意味がないように思えた。
 六月の湿った風が、穏やかだったはずの夕暮れを不気味に染めていく。
 ――明日。あの公園で。
 頭の中に残るその言葉に縛りつけられたかのように、純はしばらくの間そこから動かなかった。


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