| Without Wings 〜9〜
あの人の微笑みはやさしかった。 そんな微笑みとともにあの人が紡いだ言葉が、どれほど大きなものだったか。 『本当にひとが翼なしで飛べるかどうか、そんなことは問題じゃないのよ』 自分たち兄弟がとらわれた言葉。“翼のないまま、空は飛べる”――その言葉を、うなずくでもなく拒むでもなく。 『ただ、それはとても素敵なことだから――そういうふうに思えるあなたのお兄さんの心が、私には一番大切に思えるの』 ――そしてあの人は、兄を救ってくれた。 まっすぐで暖かいその心で、救ってくれた。 そんなことができる人間が、この世にいったいどれほどいるというのか―― だから、自分は思うのだ。 あの人が、“もっとも強い”と言ったその力の源。それは、あの人自身の手にあるべきものだ――と。 |
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未来がその校門の前に立ったとき、空はにわかに増え始めた雲に覆われ、赤い太陽は輝きを遮られていた。 校門は閉じている。こんな時間では当たり前だ。 未来は、門の脇に掲げられている校名に目をやった。 公立 無名の学校である。ただ、ほんの一年前までは一部の人間に注目されていた。 ……無名の陸上部に、優れた長距離走者が現れたと、評判になって。 だが彼は二年生の秋ごろに、ある出来事が元で走ることができなくなった。周囲の落胆は大きかった。何より本人の傷ついた心は歯止めがきかず、彼は次々に問題を起こした。 荒れた心をつけいられ、《闇》に取り憑かれた彼を、未来たちが救ったのはこの学校でのこと。 その後、彼は昂成校に転校したのだが…… 「………」 未来はひとつため息をついた。 「疲れてるの? 先輩」 声がした。 ゆっくり顔を上げる。 ――鉄柵にも見える門の向こうに、慎也の嬉しそうな顔があった。 普通の少年だ。狂っている様子などみじんにもない……自分に向けられている笑みが、未来には重かった。 自分が……彼の心を縛っている。 明るすぎる彼の笑顔がそれを物語っていた。 「俺はここだって、やっぱり分かってくれたんだ。今日は来ないかなと思ってたんだけど――あの井波って人、先輩に伝えるのが早かったね」 「……純は、何も言わなかったわ」 つぶやくように言うと、慎也は驚いたような顔をした。 「じゃあ何で分かったの?」 「………」 「どっちにしろさすがだね。少し不安だったんだけどさ」 満足そうに慎也は言う。それから門を開けた。おそらく彼自身は、門をよじのぼったのだろう。兄とはまたタイプが違うが、彼自身運動神経はかなりよかった。 重く鈍い音をたてて、門が開く。 「さあ、先輩」 未来を促すように、彼は腕を校舎のほうへと向けた。 少年の顔の向こうで、赤い太陽が雲の合間から顔をのぞかせようとしていた。 沈む直前の――まるで自己主張しているかのようなその紅い色が、慎也の顔を影にして隠す。 その瞬間の顔は見えないまま、慎也が言葉を紡いだ。 「行こう。先輩が兄貴を助けてくれたあの教室へ」 もう暗いはずの空が、なぜまぶしく見えたのか―― 分からないまま、未来は校門の向こうへ一歩足を踏み出した。 |