旅の合間のある日常―12 -
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 オレはとっさにウルグの腕を引き、その思いの外軽い体を抱え込んで、爆破された壁から離れた。そして抱きこむように子供をかばって壁に背を向けながら、さらにウルグの口を手でふさいだ。
 崩れ落ちた壁の向こう側から、吹き出した薄紫色の――煙。
 いや。煙じゃない。霧だ。薄紫の霧があっという間にウルグの私室を満たしていく。
 オレは息を止めた。腕の中ではウルグが苦しそうに口をふさぐオレの手を振り解こうとしていたが、力でこんなガキに負けるわけがない。
 オレはウルグを鋭くにらみつけて、呼吸をするな――と視線だけで命じた。通じたかどうかはこの際どうでもいいが、少なくともオレの視線にウルグはびくりと体を震わせて、暴れるのをやめた。
 背を向けていた壁。
 ウルグの私室のさらに奥にあったはずの部屋。境界線だった壁が崩れ落ちて、いまやひとつの部屋と化してしまった、その奥から――
 ゆったりとした動きで、霧にまぎれて何かが……近づいてくる気配が、していた。
 オレは唇を歪める。背後から近づいてくる気配が、あまりにも慣れ親しんだものすぎて。
 オレの体越しに、それの姿が見えたのだろう―ウルグが、目をこれ以上ないほど見開いた。押さえつけていた手の奥で子供の唇が自然と動く。
 ――だれ・・――
 オレは片手でウルグの動きを封じながら、片手で剣を何とか抜き放った。
 そして、思い切り横薙ぎに振るった。
 狙ったのは壁だ。今度は廊下との境界線だったほうの壁。オレは剣士として修業不足だと認めてもいいが、かと言って素人でもない。厚く造られていようが何しようが、木造の壁ぐらい剣で斬り崩すのはたやすい。
 廊下側の壁が崩れ、霧がそちらへ流れていく。
 部屋を満たす薄紫の濃度が、薄らいだ。このていどならばもう吸いこんでも大した害はない。
 オレは大きく息を吐き――そして、ウルグを拘束するのを止め、立ち上がった。
 ゆっくりと振り返る。
 ほんの数歩分離れた位置に、そいつ・・・はいた。
 薄紫色の霧にぼやけた輪郭でも、それが成人女性の体型を持っていることが分かる。服など着ていない――全身真っ白な素肌に女性らしいところどころのふくらみは、普通なら他人の前でさらされるべきものじゃないんだろうが。
 そいつの体をぼんやりと包み込んでいる薄紫色の霧と、波打つように腰まで広がり白い輪郭を飾る銀色の――髪。
 何よりも、こちらをうつろに見ている不思議に輝く紫色の瞳が。
 この女の姿を、人外のもののような、神秘的な存在へと昇華させて。
 ウルグが完全に硬直している。それを背後に感じながら、そして女の紫の瞳をまっすぐに見返しながら、オレは苦々しく吐き捨てた。
「この、アホが――」
 女が、すらりとそのしなやかな腕をこちらへ掲げた。その指先が真っ向からオレの顔に狙いを定める。薄桃色の爪のまわりを紫の霧が漂い、飾りつけ、柔らかな銀髪が揺れる。そう――言葉にするまでもなく美しすぎる・・・・・目の前の、この女は。
 女の手がさらりと動く。その指先に誘われるように、細く集められた霧がオレの体を取り巻き、からみつく。
 オレは無言で女を見つめていた。
 視界にふいに見えた情景。
 ――オレの体が切り裂かれる、そんなワンシーンがオレの意識をかすめ、そして次の瞬間に。
 血が舞った。全身から突如切り裂かれたように血が跳ね飛び、薄紫の霧にからみとられて消える。
 ひい、と真後ろでその様を見ていたウルグがくぐもった悲鳴をあげた。
ほんの一瞬でずたずたになったオレの服。肌。頬。
 ――急所を狙っていない。
 女の紫の瞳は虚ろに、しかしその指先は相変わらずこちらをまっすぐ指していて。
 違う。オレじゃない――
「……こいつが欲しいってか?」
 オレは背後のガキをあごで示しながら問う。
 ウルグは、ついさっきまでの威勢はどこへやら。予想外の展開すぎてすっかり怯えて震えている。金縛りにあったかのように、縮こまることもできず、視線はオレを通り越して霧に包まれた女だけを見ていた。
 そんな少年の姿に一瞥いちべつをくれてやってから、オレは女に視線を戻した。半眼で。
「こいつが欲しいから、オレが邪魔なわけだ。オレに、どけって言いたいわけだな? ああ?」
 オレは唇を歪めて――笑った。
「オレを脅迫しようなんざお前にゃ百万年早ェよ。散々オレの言いつけを破ったあげくにこれか――」
 奥の部屋には、ウルグのペット――幻魔と、そしてあの小娘がいるはずだった。
 そして今幻魔らしき存在はどこにも見当たらない。代わりにいるのが目の前の、
「お前」
 オレは剣を床に叩きつけるように捨てた。
「――幻魔を喰ったな・・・・・・・、シャラ!」
 名を呼ばれて。
 銀髪の女――シャラエリラは、びくりと一瞬反応した。しかしその紫眼は相変わらず虚ろなまま。いつものあの、小生意気な小娘のらんらんと輝く双眸そうぼうとは似ても似つかないそれが、しかし同一人物のものだとオレは知っていた。

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