「シャラ」
名を呼ぶ。凍るように悲痛な表情で、シャラはオレの目を見つめ返してくる。
「何であんなことをした?」
オレはきつい口調で詰問した。
「約束したはずだな? 幻魔は喰うなってな! お前の命に関わるんだぞ……! それとも」
不機嫌に顔をゆがめて、つけたす。「ふつうに戦っちゃ勝てない相手とでも判断したか? 何もする前から?」
ちがう、とシャラエリラはかすれた声でそう言った。
「あんな……あんなヤツに負けはしないと……そう思ったから……やった……」
「バカが! 勝てると思ったならなおさらやるな!」
合間に部屋の中の幻魔を、ウルグの様子をはかりながら怒鳴りつけた。その瞬間に――
「この体に戻りたかった!」
シャラエリラは思い切り怒鳴り返してきた。
「――この体でなければおぬしは……まともに相手にしてくれぬから……だから……っ」
ぽろぽろと流れ落ちる涙。
「―――」
オレは言葉をつまらせる。
まさかこの女は―この宿屋の意味を知っていて……
「――ちっ」
もうそれ以上、責めることはできなかった。うるんだ目でまっすぐこちらを見つめてくる女を、今度はオレのほうがまともに見ていられない。
――本当に、こいつには勝てねえよ。
「……それでも、お前はとんでもないことをやったんだ」
オレは目をそらしたまま、つぶやく。
シャラの表情がますますゆがむのは、視界の端に見えていた。すがりつくような目。嫌われることを恐れているのがひしひしと伝わってくる。
オレは大きく息を吸って、
「――オレの気をひきたいんなら、もっとマシな手を使え! いいな!」
一気に吐き出した。
女の顔が――太陽のごとく輝いた。
簡単にはとまらない涙を残したまま。
――泣き笑いの女の顔も、まともに見ていられねえ……
自分まで顔が赤くなってるのはうまく隠せてんのか? ああ、今はそんな場合じゃなかったっけか――
そろそろ、オレの血の呪縛は解ける。
もう一度、脇腹の傷に指を触れる。動き回ったせいで出血と痛みがひどくなっている。オレはわずかに顔をしかめた。シャラが思い出したように、「ああ」とまた泣きそうな顔になった。
「すまぬ。すまぬラン――」
全裸を隠すためにやったシーツを、こちらの傷あてに使おうとするシャラを、適当に振り払った。
「アホ。お前に心配されるほど落ちぶれちゃいねえ」
「しかし、いくらおぬしでもそれ以上の出血は――」
「シャラ」
オレは、シャラの顔を両手で包み込んだ。
視線を固定し。真顔で……問う。
「シャラエリラ。……オレは誰だ?」
女の紫水晶の瞳が、わずかにきらめきをともして――
答える声に、落ち着きが戻っていた。
「――ベルハーブ」
「……ヴェルハーヴだっつってんだろが」
オレはシャラの顔から、すっと手を離した。
部屋の中では。
血の呪縛の解けた獣が、再び咆哮をあげる。
その歓喜のうなり声に。そしてオレたちに向けられた、獲物を捕らえたことを確信するかのようなぎらつく瞳に。オレは視線をやって唇の端をつりあげた。
「簡単に喰えると思うなよ。――オレは、ヴェルハーヴ・ランスフォードだぜ?」
青のメッシュの入った灰色の髪に、
青い瞳をした、二十を少しすぎたほどの男。
大陸屈指の幻魔狩り一族、最強の――
獣の視線はその場にいる生き物すべての上をすべり、
そして一番弱そうな存在に狙いをつけた。
オレは飛び出した。走りざま捨ててあった剣を再び拾い上げ、獣に第一撃を放つ。
しばらくでいい、ウルグからは意識をはずさせなくてはならない。
避けられた剣筋。構っていられない。ニ撃、三撃。
――なかなかすばしっこい。
しかし攻撃の手を休めるわけにはいかねえんだ。幻魔の真の能力は、実体化してからでも変わらない。
あの、紫の霧。
あれを生み出す隙を与えるわけには、いかない。
獣のターゲットはひとまずウルグから、うるさくつきまとうオレへと移った。そのほうが都合がいい。オレは走りこんでくる獣の足を狙って剣を振るう。
そうすれば獣は、横に避けるか飛び上がるしかない。それは飛べない獣の場合、最大の隙だ。
続けざまに放った剣筋が、獣の右前足を切り飛ばした。
――幻魔に血は存在しない。
たった一滴のオレの血では、血が流れるほどに完璧な生物化はできるはずがない。
切り飛ばされた前足は、そのまま霧散した。まさに幻のように。
だが、元々本物の獣じゃあない。足が一本なくなったぐらいで動きがとまるわけもなく、幻魔は狂ったように咆哮をあげながら、オレに向かい続ける――
「――ヴェルハーヴ!」
急にそんな声が飛び、オレはぎょっとして危うく集中力を乱しかけた。
シャラか? いや、女の声じゃない、今のは……
|