そう言えばウルグが、『ペットが腹をすかせてる』とか言ってなかったっけか?
おまけにここには、シャラのような幻魔の極上のエサがいる……
凶暴性マックスと言ったところだ。
「剣じゃ無理か」
オレはまた剣を捨てた。シャラはウルグの傍へと走る。オレのフィンガーレスの手袋は、当然指が露出している。その指で自分の脇腹の傷口に触れて――
「――それなら――」
小さな声が、聞こえた。
「……?」
シャラの結界に守られたウルグが、うめくようにぶつぶつと何かをつぶやきながら、自分の服をまさぐる。そして、やがて何かを取り出した。
――親指ほどの大きさ、薄紫の水晶玉。
「おぬし……っ!」
シャラが声をあげた。オレも目を見張った。まさかウルグがそんなものを持っているとは。あの水晶、あれは、
「――幻魔の卵! これで今度こそ僕の下僕を生み出してやる……!」
ウルグが高々と薄紫の玉を掲げる。
シャラが必死でそれを奪い取ろうとする。
しかし、わずかに遅かった。
霧が噴き出した。紫の霧が。オレは呼吸を止めた。その場から動くことはできない――今ここで、実体化しているほうの獣から意識をはずせば隙になる。そちらが危険だ。
(シャラ……! ウルグ!)
薄曇りに子供たちの姿を消されて、オレは歯噛みした。シャラならそれ相応の対処をしてくれると信頼している。けれどウルグの狂乱は、何を引き起こすか分からない――!
その瞬間を隙と判断したのか。幻魔獣がオレに飛びかかってくる。
オレは手を一振りした。
――指先についていた、血が舞った。浴びて、獣は喜びの声をあげる。しかし今はヤツのことはどうでもいい――
紫雲がようやく薄らぎ……そこにいる連中の姿がオレの目に映る。
オレは目を見張った。
いつの間にか、ひとり人間が増えていた。卵から生まれた幻魔ではない。見覚えのある女――
ウルグが呆然と、自分の体を抱くように割り込んできた女を見下ろす。
「ウルグ……さま……」
それは、あの無愛想なウエイトレスだった。その手に、まだ割れかかった状態でとまっている薄紫の水晶がしっかりと握られている。しゅうしゅうとその割れ目から噴き出す薄煙がウエイトレスの手にからみつき、女が苦しげなうめき声をあげる。
シャラが再び数本の己の髪を利用し、その水晶を女の手から放させた。そして縛し、破壊する。
「マファ……な、お前、死んだ……はずじゃ」
自分を抱く女を、子供が信じられないと言いたげな目で凝視する。
オレはひそかに肩をすくめた。――オレの血の呪縛、あの女にはそれなりに強くかけたつもりだったんだが……想いの力で脱け出しやがったか。
「手を出せ! そなた、早く治療せねば手が腐り落ちる!」
シャラが『マファ』と呼ばれた女の、水晶から噴き出した煙を浴びた手をつかみ寄せようとする。
しかし女は、シャラを振り払った。そして再び、強くウルグを――自分の“主人”を抱きしめる。
「本物の――ヴェルハーヴ殿は……私を、生かしてくれました……。大丈夫です、ウルグ様。あなたはまだひとりじゃありません――。私がいます……」
途切れ途切れの声が、ひどく優しい。
――まだひとりじゃない。あなたはまだ、ひとりぼっちになどなっていない。
私は、あなたを置いていったりしない。裏切ったり……しない。
マファは繰り返し繰り返し、そう言い聞かせた。
――あの女は“従”と呼ばれる存在。
一度幻魔に喰われ、命を失った。けれど幻魔に触れた者は強く幻に影響される。幻の命を得て、現実に舞い戻ってくる存在がいる。
人間とも、幻ともつかないまま。
自分の存在意義を見失った彼らは、だから自分を認めてくれた人間に、絶対の忠誠を誓うようになるという。
マファの場合は……、忠誠というよりは……
(救ってやりたいとでも思ったか……)
ウルグの小さな体が震える。
瞳がうるみ始めた。自分を抱く女の体にしがみつくように、徐々に少年の手に力がこもる。
「マ……ファ……」
そして女に抱きついて、子供は泣き出した。
「よかっ……た、よかった……!」
オレはぽりぽりと頬をかいた。
――あの女は死んだと、うそをついたのは幻魔を出させるために仕方ないと思った方便だったんだが……
相手は、人が死ぬ手助けをするほど狂乱していたとは言え――子供だった。
「騙して悪かったな」
一言だけ謝った。しかしそれ以上は必要ない。
ウルグに導かれ、幻魔に喰われた人間はたしかにいる。
「言っとくがな、くそガキ。てめぇのペットは消す。いいな?」
低く念を押す。
ウルグは――こくんと、小さくうなずいた。
マファが初めてオレのほうを振り向き、困惑したような顔をした。
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