気がつけば、《魔法世界》に来てから数日が経っていた。 (……そうだよ、だったらさ――) 宿屋の階段を降りながら、レッカはため息をついていた。 朝から。 (――もういい加減疲れてて、そんで久しぶりにけっこう寝心地いいベッドにありついて、ぐっすり寝ちまって次の日寝坊――ってことぐらい、してもいいと思うんだよなー) 心の中でぼやきながら、階段の途中で立ち止まり大あくびをする。 《魔法世界》の“宿屋”という施設で初めて迎えた朝―― 目覚めは悪くなかった。 と言うか、拍子ぬけなほどにきっちりと、《新世界》にいた時と変わらない時間に起きてしまった。 (……そりゃさ、まだこっちに来てから一週間も経ってないけどさ、ものすごい環境の変化だろ?なのに) あっさりと元の生活習慣を取り戻してしまったらしい。 父親が突然ヘンな外出をし始めたときといい、自分のたくましさにトホホな気分のレッカであった。 とりあえず、下手に二度寝は出来ない。みんなが待っているから―― 朝食は、1階の食堂で取ることになっている。それは、前日4人の仲間たちと決めておいたことだった。 「おはよう、レッカ……」 食堂に入ると、真っ先に控えめなあいさつをかけられた。 昨日と変わらずツインテールのリンだ。 食堂には他にもちらほら客がいる。けっこう早い時間だというのに、《魔法世界》の人間はなかなか動き出すのが早いらしい。 「おはよ」 すでに少し大きめの丸テーブルに――一人きりで――ついているリンのところへ、レッカは寝起きの気だるさから抜けきれない仕種のまま歩いていった。 椅子に座りながら、 「……セイラは?」 「うん。まだ寝てる……」 「だろーな」 メンバー最年少のセイラ。……言っては何だが寝起きはよくなさそうだ。なにしろ自分たちがこちらの世界に来る瞬間の、あの衝撃を受けてもなお寝ていた少女である。 セイラと出会った時を思い出しながらふと横を見ると、リンはテーブルの上にあるメニューを控えめにもてあそんでいた。いつからここにいるのか知らないが、彼女にとってこんな場所に一人きりでいるのは、さぞかし落ち着かないことだろう。 レッカは彼女からメニューを受け取り、背もたれに深く体を預けた。 「……ルカ、は?」 やはり控えめに――これは年上の人間を呼び捨てにすることに慣れていないせいだろう――リンは訊いてくる。 「ん〜」 メニューから顔を上げ、レッカは言った。「さあ。部屋ノックしてきたんだけど、反応なかったんだ」 「バーラは?」 「どっか行った。おれが起きたときにはもういなかったし」 レッカが二度寝しなかった一番の理由は、隣のベッドの精霊の姿がなかったからだ。 (意外と早起きだったんだなあいつ) 失礼ながら心底感心しつつ、そしてゲームやマンガの悪影響かどうか「まさかこのままおれたちを置き去りか!?」などと思いつつ、「そんなわけねーか」と最後には持ち前の楽観主義で結論づけてしまう彼である。 まあ、そんなことよりも今は―― メニューに視線を戻す。 異世界の食事は、シャレた西欧風の雰囲気があった。 他の客たちの食事の香りが食堂に充満している。若い食欲を刺激するに充分な。 だんだんはっきり目が覚めてきて、いきいきとメニューを眺めだしたレッカの横で、ふとリンが小さく欠伸をした。 一生懸命手で隠しているが、本気で眠そうな欠伸だった。 レッカはふと思う。 ――彼女なら、こんな状況では眠れなくなっていてもおかしくない。 「あんまり寝てないんだ?」 訊く。と、リンはためらいがちにうなずいた。 「そっか……そうだよな。こんなトコじゃ」 心配性のリンのことだ。夜の間もずっと、いろいろ悩んでいたのだろう―― 「でもさ、寝ないと倒れるかもしれないし。あんまり不安がるより体力つけるほうが先じゃねえかなーと思うけど」 「あ……ううん、そうじゃなくて……」 否定され、レッカはきょとんとリンを見た。 リンはいけないことを告白するかのように肩を縮め、小さい声で言った。 「……隣のベッドで、セイラちゃんが……」 「あいつが?」 「……何度も寝返りうって、いつも今にもベッドから落ちそうで……気が気じゃなかったの……」 「………」 ごろごろと転がる関西少女のベッドの横で、心配で心配で眠れない少女…… その気もないのにそんな図が簡単に思い浮かんできて、レッカはあははと笑ってごまかした。 「大丈夫!あいつなら落ちてもそのまま平気で寝てるから」 これ以上なく確信に満ちた励ましだった。 ――それならいっそ落ちてしまったほうが安心なのかもしれないが、だからと言ってまさか少女本人に“床で寝てください”なんて言えないし、わざと落としてやるわけにもいかない。 これから先……《魔法世界》での旅において、リンはおそらく、常にセイラと同室だろう。 これは彼女に課せられた試練なのだ。 だからレッカは、リンの肩をぱん!と力強くたたいた。 「強くなろうな、リン!」 「………」 リンの控えめな目つきがじとっとしたものになったのは――きっと気のせいだろう。 レッカは何気なく食堂へ目をやった。――誓って言うが、目をそらしたわけでは、ない。 |