かつて、彼は笑いながら言ったのだ。 『花が好きなんだ。――この土地に、種を植えたいんだよ』 それは呆れるしかない夢物語にしか思えなくて、 けれどまっすぐで、迷いのなかったその瞳に――少女は一瞬で恋をした。 |
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日が落ちかける夕方には、この道を歩く。それはレナの日課だった。 (……今日も、いつも通りなのかな) 家の仕事を手伝い、汚れた服を着替えて、それからこの道を行く。――彼女自身“いつも通り”のことをしながら、心の中ではそんなことを考えていた。 それさえもまた、いつも通り。 少女の足が、固くて黒ずんだ土を踏み進む。 細すぎる道の両脇には、同じような土の上に、さらに石がごろごろと転がっていた。――草は、ひどく弱々しい細いものがまばらに生えているだけだ。 今、レナが歩いている部分には石がない。「まあ一応道かな」と村人たちは言う。 その細い道に石がなく、人が通った気配を確かに感じさせるのは、彼女を含むたった二人の人間がここをずっと通り続けているからだった。 この道をずっと進むと、村はずれとしか言いようのない場所にまで行ってしまう。そしてそこには、ひとりの青年が居を構えている。 レナとともに、この道を作った原因である青年が。 ――道はやがて、右に折れる。 いつも通りにそこを曲がり、さらに歩く。 景色は見渡す限り、土色とまばらな弱い緑色。少し切なくなってふと空を見上げてみると、広すぎる空はかすみがかった水色をしていた。 この時間帯には、うっすらと夕焼けの薄い赤色もまざりあってゆく。 空気が柔らかい。 少し前まで絶対に肌をさらしたくないような気温だったことを思い出した。時おり吹く風はほんの少し冷たいけれど、もう数少ない服に四苦八苦することもなくなりそうだ。 「そっか……もうすぐ春だっけ」 口に出して呟いた。そしてもう一言、ぽつりと。 「……じゃあもう、一年、か……」 道の先にはやがて、ひとりの人間の小さな家見えてきた。 そして―― いつも通りの音が、柔らかく耳をかすめていった。 さらさらさら…… それはまるで霧雨のような、とてもとても軽い、爽やかな水の音。 なぜなんだろう。この音を聴くたび、レナは不思議に思う。 ――なんで、こんなに優しい音がするのだろう。 レナは固い道を歩き続ける。 そしてある程度進んでから、ふと足をとめた。 背中が見えた。とても見慣れた青年の、後姿。 レナは少し離れた場所から、その背中をじっと見つめる―― 「どうした?」 声がした。 聞き慣れた声だ。まだ十六歳のレナにとっては、とても大人に聞こえるトーン。 レナが今まさに見つめている、その青年の声。 「――声もかけずにただ見てるっていうのは、あまりいい趣味じゃないな、レナ」 からかうように笑いながら、長身の青年が振り向いた。 軽くかすみがかった空のような、薄い水色の瞳がレナをとらえる。今日の空だ、と少女は思う。 自分より六つも歳上の男の姿が、そこにあった。 レナはその場から動かなかった。視線を少しずらすと、青年の向こう側にいつも通りの――花壇が見える。 そして青年の手にはやはりいつも通り水やりのための道具があり、足元には水の張られた桶があって。 「……水をやってるのね」 わざわざ確かめなくてもいいことを、レナはあえて口にした。 「やり始めたところだよ」 当たり前のように青年――レオンはそう答えて、「ちょうどいいから手伝え」と軽い調子でレナを呼んだ。 レナはふくれっつらをしてみせた。 「私、そういうの苦手だって言ってるでしょ。思いっきり水をかけて種をダメにするよ、きっと」 「はは。わざとそうする気だろう」 「……。そう思ってるなら、手伝えなんて言わないでよ」 「お前が種を駄目にするようなことをするわけないだろう?」 矛盾したことを言ってレオンは微笑んだ。 「―――」 頬が紅潮するのが分かって、レナはうつむく。 この人はいつだってそうなのだ。ごく当たり前の調子のまま、簡単に自分を黙らせてしまう。 ふてくされたままレナはようやく足を動かした。少し乱暴にどしどしと地面を踏み鳴らし、ようやくレオンの隣に立つ。 花壇が目の前にあった。 この花壇はレナも毎日見ているのだ。レオンが自分の家の庭に作った特別な場所であるそこには、まだ黒茶色の土しかない―― そう思いながら花壇を見下ろしたレナは、 一瞬後、目を見張った。 土色のあちこちに、ぽつりぽつりと見慣れない色。 限りなく黄色に近い、緑。 まだまだ若すぎる――小さな新芽が、土を押し上げて顔を出していたのだ。 「芽が……出たんだ」 「ああ。今日、やっとな」 呆然と呟くレナに、レオンが隣でうなずいた。「まあまだまだ、夢の達成には遠いんだが――ほらな、レナ」 俺の賭けもそんなに愚かじゃなかったろう――? そう言って、水色の瞳の青年はにっと笑った。 |
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レナとレオンが住む村は、何十年か前の天候災害によって土地が枯れてしまった。生命力の強い植物はかろうじて根を張っていたが、花らしい花にはお目にかかれないのが現状だ。そんな土地だったが、なぜか不思議とこのあたりでしかとれない薬草が根づいていたことで、それを目当ての商人がわざわざこの村に足を運んでくる。 村人のほとんどは出稼ぎと、その商人との取引で生活していた。 それは決して楽なものではなかったから、この村から出て行った人間は少なくない。 その一方で――決してこの村から出ようとしない人間も、少なからずいる。 レナは、そんな“生粋の村人”を両親に持って生まれた。つまり生まれてこの方、花らしい花を現実に見たことがなかった。 けれど、レオンは違う。 彼は、街のほうからわざわざこの村に来て、さらに住み着いてしまったという――どうしようもない変わり者だった。 |