「ダッハさんの親父さんは、積極的に"福音の島"に関わろうとしているんですね」
シグリィは何気ないことのように、問うた。
そうだよ、とダッハはいじけた子供のように指先をくるくるさせながらつぶやく。
「親父は変人だから。あんなおかしなところにも平気で行くのさ」
「変人じゃあないと思うなあ、私」
セレンが気楽そうに声を上げた。「だって、あの島に住む人々に救いの手を差し伸べるのって当然じゃない?」
するとダッハは、信じられないものを見るかのような目でセレンを見た。
「あの島に住むやつらに? とんでもない! やつらは神に見捨てられた、いずれ悪に染まるに違いない連中だ!」
「それは壮大な偏見ですよ」
シグリィは肩をすくめてみせる。
「神に見捨てられたとどうして言えます? ここ数年の、大陸の異変はご存知でしょう。何が起きてもおかしくない」
「だからその予兆としてやつらが現れたんじゃないか。あの、四神の《印》を持たない連中、《印》が消えた連中!」
ダッハはぶるりと身震いする。
「とんでもない。《印》の加護を受けていない人間なんて……信じられないよ。きっとやつらは何かをしでかす。四神の《印》以外の力を持ってるに違いないんだ。たとえば人肉種のような」
「《印》がないからと言って、人肉種と同類にするの?」
セレンの怒りがふつふつと沸きあがっているのが分かる。
「なんてひどい話! そもそも人肉種は人の魂から生まれていますからね、私たちだって同類なのよ!」
「いくら元が死んだ人間の魂だからって、人間を喰らうケダモノに成り果てたものと僕らが同じだと言うのかい!? 冗談じゃないよ!」
君だって知ってるだろう! ダッハは叫ぶ。
「あのケダモノがどのように人間を喰らうのか! 周りに一人くらい、被害者がいるだろう!」
「いい加減にしなさい」
ピン、と場が張りつめた。
はっとダッハが息を呑んだ。
シグリィが冷徹な顔で彼を見ている。
今まで黙って聞いていたカミルが、不愉快そうに、
「……醜い言い争いだ」
とつぶやいた。
その一言で、セレンの熱も引いたようだった。
「ごめんなさい。シグリィ様、カミル。スージーさん」
「あ、ああ……」
怒鳴り合いを呆然と聞いていたスージーは、呼ばれてようやく我に返った。
「でも私はこの人の言い種を許しません」
セレンはきっぱり言った。
ダッハの言い分も、間違ってはいないのだ。だが、言い方が悪い。むしろ言ってはいけない。周りに一人くらい、被害者がいるだろう、だなんて言葉。
シグリィは心の中でため息をつく。
――ダッハばかりを責めることはできない。人間は必ずしも、美しくはあれないのだから。
(美しくないことこそが人間、か……)
いつだったか、自分の親の一人が口にしていたことを思い出す。
("だから自分は、人間を愛したい")
自分はそんな域まで悟れるだろうか?
今のダッハの言動を赦せるか?
諭したい、と思った自分は赦せていないということだ。
……他人を諭せるほど、自分は成長していたか?
シグリィは急に笑えてきた。くっくっと笑っていると、ダッハが気分を害したように少年をにらんだ。
「なんだよ……」
「いいえ。――ところでダッハさん。私たちは、実はこの後その問題の島に行こうと思っているんですけどね」
ダッハは目をむいた。
「バカか君らは!」
「いただけない言葉ですね。理由は?」
「だ、だから今僕が言った通り……」
「ですがあなたのお父さんは行かれるのでしょう」
「親父は変人だからだ! 旅人並みの変人なんだよ!」
セレンがわらわらと、そのきれいな指を揺らしている。怒りのオーラが怖い。
やれやれとシグリィはダッハに話しかけるのをやめ、スージーの方に向いた。
「ここから"福音の島"に行くには、どうしたらいいと思いますか?」
「そうだねえ……」
スージーは、特にシグリィたちを変人だと思わないらしい。頬に手を当てて、
「……うん。困ったことなんだけど、ダッハみたいな考えの男たちは多いんだ。だからさ、行くならジオに頼むしかないと思うよ」
「ジオさんですね。どこに行けばお会いできますか」
「船着場で海見ながら、ぶつくさ言ってるんじゃないかな」
シグリィが立ち上がる。それに続いてカミルとセレンも。
「スージーさん、ご馳走さまでした」
「構わないよ。……本当に行くのかい」
ええ、とにこやかにうなずくと、スージーは心配そうに、
「人肉種の翼のあるやつは海にも現れる。気をつけてお行きよ、あんたたち」
ととても暖かい言葉をくれた。
船着場に向かう途中に転がっている石を、ことごとくセレンの爪先が蹴飛ばしていく。
「セレン、いい加減機嫌直したらどうだ」
「だって〜」
セレンはむうと唇を突き出した。美の女神アプロスの加護を受けている彼女は、放っておけばとても美しい女なのだが、表情が豊かすぎて美しいというより面白い。
「あのまま泥棒として官憲に突き出せばよかった……」
「この町の官憲は今正常に機能していないと思うぞ」
「だったらマザーヒルズの国の官憲に突き出します」
「国の膝元まで連れて行くのか……」
国の官憲――というより兵隊になってしまうが――は、さすがにそろそろ機能を回復しているころだろうが、魚泥棒を相手にしている余裕はないだろう。第一このガナシュはマザーヒルズ城下町まで遠すぎる。
空を見上げると、太陽が下がっているのがはっきり見えた。午後二時か三時少し前くらいだろうか。
今から出かけて、果たして島までたどりつけるだろうか。
それは船頭の腕次第だとは思うが。はてさて……
「ああ、いらっしゃいますね」
とカミルが目を細めた。本当ならシグリィの方が感覚が鋭いのだが、シグリィは考えごとをしていて気づかないことが多いので、結局カミルの方が先に気づいてしまうことがあったりもする。
あそこですよ、とカミルが示した先。
たしかに、見覚えのある人影。
船着場にどっかと座って、海の方を向き、酒瓶を片手に何かをしている。一人きりで。
潮風が追い風になっているのを利用して、「ジオさん!」と呼びかけてみた。
人影が振り向いた。シグリィたちの顔を見て、一瞬嫌そうな表情をする。スージーの家での出来事を忘れていないのだろう。
駆け寄ってみると、酒の匂いがした。男は一人酒に興じていたのだ。
ぼさぼさの髪にひんまがった口――これはどうやら元からそういう口らしい――いかめしい眉。強面すぎて普通の人間は逃げてしまいそうである。しかしジオは近くに寄ってきたおかしな少年たち一行を頭ごなしに追っ払ったりはしなかった。ダッハの件はともかく、本来そんなに気性が荒いわけではないのかもしれない。
「ジオさん、お願いがあるんですが」
そう切り出すと、男はげっぷをして、
「なんだぁ」
と妙な間延び声で応えた。
シグリィは単刀直入に言った。
「"福音の島"へ、私たちを連れて行ってくれませんか?」
とたんにジオの瞳の色が変わった。じろじろとシグリィたちを値踏みするように見て、
「まさかぁ、あそこの島の連中に――」
「害を与えようとか、そういう考えは一切ありません」
シグリィはジオの眼差しをまっすぐ受け止めた。「ただ、私たちは大陸の異変に興味がある。そうである以上あそこの島は避けられない」
「―――」
セレンが、石の代わりに自分の杖の先端を、コンと蹴り上げた。寂しい音がした。
「……かわいそうじゃない、島に追いやられた人たち……」
「助けてあげられるなどとおごっているわけではないですが」
すかさずカミルが付け足す。「様子を見れば、何か変わるかもしれませんので」
「……ふむ」
ジオは酒臭い息を自分で払いながら、
「お前さんら、たしかぁ旅人だったな?」
「ええ」
「……扉が開いた直後だってぇのに、そんな五体満足かい」
「腕には覚えがあります。旅人ですから」
「なるほどな」
ジオの手が動いた。一瞬身構えると、彼の手は近くを探って酒瓶の栓を手に取り、きゅぽっとはめた。
「ここから島までどれくらいですか」
シグリィは質問する。ジオなら、おそらく正確に知っているはずだ。
案の定ジオは即答した。
「通常で四時間。襲われなかったらの話だがぁな」
「四時間。今から行って夜の帳が下り始める頃……か」
そのつぶやきを聞いて、ジオはわははと豪快に笑った。
「ほう、ほう、本気だなお前さんら! 本気で俺の船に乗って行く気かぁ!」
「本気も本気の本気ですよ」
に、とシグリィは唇の端を上げてみせる。
ジオはがっしとシグリィの手を握った。
「ガキのくせにいい顔だぁな! 気に入った! 今すぐ乗せてやらぁよ!」
「今から行けますか?」
「いつでも行けるさぁよ! 俺は昨夜から、あの島が心配で心配で仕方ねえからな、ダッハの野郎が戻ってきたらすぐさま出航するつもりだったんでなぁ」
「帰りはどうされるつもりだったのですか?」
「いつも一晩島のやつらが泊めてくれるからなぁ。数日泊まってこっちへ戻ってくるってぇ算段よ」
ジオはにやりと笑って、
「お前さんらぁ腕が立つんだろう。今回は乗組員俺一人だが、護衛してくれるってんだろう?」
これも交渉か。シグリィは「もちろん」とうなずいた。
「あなたの身の安全は保証しますよ」
「ビッグマウス!」
ジオは嬉しそうに吼えた。テンションが高い。嬉しいのかもしれない。
カミルとセレンが、傍らでほっとしたような顔をする。
シグリィはにこりと笑って、
「できればお酒を呑まれる前に、契約成立したかったですね」
「バカ言えぇ」
ジオは立ち上がり、片手でぐっとシグリィの肩を抱くと、もう片方の手で酒瓶を高く持ち上げた。
「酒は出航の景気づけだぁ!」
かくして。
シグリィ、カミル、セレンの一行はその島へ行くことに決まった。
――大陸異端の人間が集まる、"福音の島"へと。
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