ジオの漁船は大きかった。
「こう見えて、腕は町じゃ一番なんだぜぇ」
ジオはいかつい顔で、ふふんと自慢げに鼻を鳴らす。
「三人乗せるくらいは朝飯前だぁな。おら、乗れ乗れ!」
シグリィたち一行は、ジオに促されて次々と船に乗り込む。
3人乗せたくらいではたしかにびくともしない。立派な漁船だ。
「帆を張るぜぇ。おら一番デカいの。手伝えや」
カミルご指名。ジオと強力して帆を張る。
パン! と張られた帆は、とても爽快に風を受けとめ、船が動く原動力になった。
シグリィは太陽の位置をたしかめ、
「“福音の島”はここから南南西ですよね」
とジオに確認する。
「おうよ。直行するからなぁ。寄り道してる暇なんざねえ、島のやつらに何かあっちゃあ大変だ」
「直行直行ー!」
セレンが腕を振り回した。
そしてゆっくりと、船が出港する――
波は穏やかだった。
太陽の光を反射して、キラキラと海面が光る。
月闇の扉が開いた翌日としては、平和すぎるほど平和だ。
「とは言え、翼を持つ《獣型》は存在するからな」
海の上を通ることは滅多にないシグリィも、気を引き締めていた。
「私たちは海上での戦いは不慣れだ。――セレン、お前が主戦力だろうが、船には損害を与えるなよ」
「はいっ」
セレンはセレンで、ちゃんとそういうことを分かっている。
カミルは剣士なので、ジオの直接の護衛をやってもらうことになった。
シグリィは補助だ。
彼は戦闘のとき、いつも補助に回る。それが当たり前になっている。場合によっては前線に出ることも立派に出来るのだが、いかんせん彼は体が弱い。
そのことをカミルもセレンも分かっているので、何も文句を言うことはない。
万一船が襲われたときのことを、三人で入念に確認しているのを眺めていたジオが、
「お前さんらぁ、面白いなあ」
と言った。
「何がですか?」
シグリィは顔をジオに向ける。腕組みをしたジオは、うんうんとうなずいて、
「いや、今時王様だって臣下をてなずけるのに苦労するってぇのになぁ。お前さん、お子様のくせにすげえじゃねぇか」
「だってシグリィ様はすごい人だもの」
セレンがすかさずジオの方を向いた。
「すごい人ってのぁなんだ」
ジオは興味津々のようだ。シグリィが苦笑して、
「いえ、今のはセレンが大げさだっただけです。私は大した者ではありませんよ……いい風が吹きますね、今日は」
「船も順調に進んでいるようですよ」
カミルが船の進んでいる方向をたしかめながら、口を挟む。
「ん? おお。今日は本当に順調だな」
シグリィとカミルの二人で、話をそらすのに成功したようだ。
セレンは元より話がずれることを気にするタチではない。
「あー、いい天気! これでこのまま人肉種が現れなければ万々歳ですねー」
この言葉がいけなかったのだろうか。
ほんの数秒後だ。数秒後……
空に、無数の黒い影が現れたのは。
「人肉種……!」
ジオが身震いした。「なんてぇ数だあ!」
「噂をすれば影になっちゃったのかしら……」
セレンが風に流れる長い髪を払いながら、むうと膨れる。
「別に人肉種がそんなもので現れるとは思えんが。とりあえず、セレン。いけるか」
「はい」
セレンはくるくると杖を回した。そしてそれを両手持ちに構え、近づいてくる大量の翼持つ獣たちに掲げた。
張りのある女の声が、海上を滑っていった。
「風が呼ぶ一陣の嵐をそして呼ぶ戦神の業火を!」
限定範囲内突風――そして、生まれるは炎。
風で動きを乱された《獣型》が、次々炎に呑み込まれていく。
燃え尽きる前に海面に落ちることさえなかった。それほどに強い火力だ。
その上、吹き荒れた突風が水面を揺らすことさえない。
ジオが、感心したように口笛を吹いた。
「すげえなぁ、嬢」
「油断しないで! 左からまだ来ます!」
カミルが鋭く声を放ち、ジオの前に立つ。セレンが左を向く。シグリィは左から来る影をセレンに任せ、向かって右側に注意を置いた。
「鋭き風に裂かれるものなし!」
セレンの詠唱が終了し、発動した具現力は左からきたケダモノを切り裂いた。
普段はおまぬけな女だが、戦闘についてはプロだ。
そしてそれは、ジオを護るカミルについても同じこと。
任せておいて大丈夫――
自分は自分の役割を果たせばいい。セレンが今目を向けられない場所の偵察。
右側からは……
黒い影は襲ってくる様子がない。
ちょうど東の方向で、距離はともかくこのまままっすぐ行くと、とある島国にたどりつく。
シレジアという名の神秘の島へ――
人肉種の襲撃はしつこかった。セレンが何度炎の餌食にしても、次から次へとやってくる。
ジオが親指の皮を噛んでいた。
「くっそ、島の方向からきやがらぁ……島の連中は無事なのかっ」
「焦らないでジオさん。どうか、今は大人しく。あなたが餌食になってしまっては意味がありません」
地団駄を踏むジオを、カミルがなだめている。
「――島の人々に会いたいのはジオさんでしょう」
そう言われてしまうと、暴れたがりに違いないジオも、渋々カミルの後ろに立っているしかないのだ。
揺れる甲板の上。
カミルは極限まで精神を集中させ、瞬間移動で目の前に突然現れた人肉種をあっさり斬って落とす。
連続して現れても同じだ。彼の剣の速さは常人では目に留まらぬほど。カミルを無視してジオの目前に来た者も、その姿を見るまでもなく剣の一閃だけで斬った。
「……怖ぇのは、お前さんらの気がしてきたなァ」
ジオが呆れ半分でつぶやいた。
「あ、ひどーいおじさん! 護ってあげてるのにぃ」
セレンがすかさず文句を言った。
「旅人はこれくらい能力がないとやっていけませんよ」
シグリィはジオの顔を見ずにそれだけ言いながら、ただ東の方向を見つめていた。
シレジア王国。
――五年間旅をしてきて、まだ一度も足を踏み入れたことのない土地だが。
(アプロス……)
つい感傷に浸ってしまった。ばか、何をしている、とどこからか怒鳴り声が聞こえた気がして、慌てて頭を振る。
気持ちの切り替え。異変はないかどうか。
西に太陽が落ちるこの時間帯。シグリィが見つめる東はどんどん暗さを増していく。
暗い。黒というよりは、紫色に変わっていく。
その美しくもどこか不気味にも見える空の彼方から――
何かが、飛んだ。
東から、西南西に向かって。
「―――!?」
なんだあれは!? シグリィは緊張する。
人肉種ではない。ましてや星でもない。青い光だった。海の色の青だった。
シレジアの方向から、
――“福音の島”の方向に。
「今のを見たか!」
シグリィは他の面々の注意を促した。
しかし数秒で消えた青い光を、他に目撃した者は一人もいなかった。
「なんだ、あれは……」
考えている暇があるのはシグリィぐらいなもので、セレンもカミルもジオも人肉種の対応におわれて忙しい。
「何か見間違えたんじゃぁねえのかぁ」
ジオが気楽にそう言った。
「―――」
シグリィは唇を噛んだ。見間違いも何も、青い光であること以外何も分からなかった。
なのに、なぜか心に響く。
あの青い光が、自分の胸の奥に落ちたような。
自分の胸の奥で、助けを求めてほのかに光っているような。
あの青い光が飛んでいったのは――
シグリィは南南西をにらむように見た。
「――っ、島に、急ぐ! ジオさん、スピードを上げることはできますか!」
「おあぁ? 人肉種がいるってぇのに、危ねぇぞぉ」
「急ぐ必要がある気がするんです!」
それを聞いた、シグリィの護衛二人が反応した。主の願いを聞き届けるために。
「我の邪魔をするもの、微塵にして空なり! 破爆!」
セレンの高らかな詠唱の直後、人肉種の群れが中央から大爆発を起こした。
これにはさすがに波が起きて、船が激しく揺れた。
カミルがジオをかばう。シグリィは身を伏せる。
荒っぽいが、これはたしかに効く。広範囲爆発術――
目に見える人肉種がきれいにいなくなった。
「よっしゃ!」
ジオが張り切って舵の元へ行き、スピードを上げる。
「もうどうなっても知らねぇ! 限界まで上げるぞぉ!」
「護りますよ!」
シグリィは大声で返していた。
「この船もあなたのことも、絶対に!」
何もかもカミルとセレンに任せるつもりはない。
いざとなったら、自分も参戦することを、念頭に入れて。
船がうなりを上げて動き出す。
波をかきわけ、一直線に目的地へと――
途中から人肉種の襲撃がなくなったのは、シグリィが“結界”を張ったためだった。
結界。境界線。
自分の認めたもの以外の通過を不許可にする摩訶不思議な線。いや、半円状になって彼らを包んでいると言った方が正しいか。
透明なその結界は、シグリィ以外の誰も探知はできないが、シグリィよりも強力な存在が現れれば突破される。
……自分より強力な存在など、この大陸にそうそういないはずだ。少年はそれを知っている。
もしいたとしたら、
それは神をも超える力の持ち主なのだろう。
そんな人間はまず存在しない。そう思っているから、シグリィの心にはいつも余裕があって。態度にもそれが出て。生意気と呼ばれることもある。
そう言われても彼には分からないのだ――自分より強い者が目の前に立ちはだかる“危機感”というものが、どんなものなのか。
殺される恐怖に襲われるというのは、どういうものなのか。
――どんなことでもそつなく器用にこなしてしまう部分も、色んな人間に横目で見られる原因となった。
大して気にはしていない。自分はこういう存在なのだから仕方がない。
そんな自分が、初めて思う。何か変だ。胸騒ぎがしてたまらない。
すべては、あの青い光のせいか。
あれはなんだ? 考えても答は出ない。
自分をこんなに不安にさせるものは、他にはなかった。
「おらおらー!」
ジオが叫んだ。
「島が見えてきたぞー!」
シグリィははっと顔を上げた。
水平線に、うっすらと陸の線が見えていた。
|