月闇の扉 - 6-sizeA 海上に降る星
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 ジオの漁船は大きかった。
「こう見えて、腕は町じゃ一番なんだぜぇ」
 ジオはいかつい顔で、ふふんと自慢げに鼻を鳴らす。
「三人乗せるくらいは朝飯前だぁな。おら、乗れ乗れ!」
 シグリィたち一行は、ジオに促されて次々と船に乗り込む。
 3人乗せたくらいではたしかにびくともしない。立派な漁船だ。
「帆を張るぜぇ。おら一番デカいの。手伝えや」
 カミルご指名。ジオと強力して帆を張る。
 パン! と張られた帆は、とても爽快に風を受けとめ、船が動く原動力になった。
 シグリィは太陽の位置をたしかめ、
「“福音の島”はここから南南西ですよね」
 とジオに確認する。
「おうよ。直行するからなぁ。寄り道してる暇なんざねえ、島のやつらに何かあっちゃあ大変だ」
「直行直行ー!」
 セレンが腕を振り回した。
 そしてゆっくりと、船が出港する――

 波は穏やかだった。
 太陽の光を反射して、キラキラと海面が光る。
 月闇の扉が開いた翌日としては、平和すぎるほど平和だ。
「とは言え、翼を持つ《獣型》は存在するからな」
 海の上を通ることは滅多にないシグリィも、気を引き締めていた。
「私たちは海上での戦いは不慣れだ。――セレン、お前が主戦力だろうが、船には損害を与えるなよ」
「はいっ」
 セレンはセレンで、ちゃんとそういうことを分かっている。
 カミルは剣士なので、ジオの直接の護衛をやってもらうことになった。
 シグリィは補助だ。
 彼は戦闘のとき、いつも補助に回る。それが当たり前になっている。場合によっては前線に出ることも立派に出来るのだが、いかんせん彼は体が弱い。
 そのことをカミルもセレンも分かっているので、何も文句を言うことはない。
 万一船が襲われたときのことを、三人で入念に確認しているのを眺めていたジオが、
「お前さんらぁ、面白いなあ」
 と言った。
「何がですか?」
 シグリィは顔をジオに向ける。腕組みをしたジオは、うんうんとうなずいて、
「いや、今時王様だって臣下をてなずけるのに苦労するってぇのになぁ。お前さん、お子様のくせにすげえじゃねぇか」
「だってシグリィ様はすごい人だもの」
 セレンがすかさずジオの方を向いた。
「すごい人ってのぁなんだ」
 ジオは興味津々のようだ。シグリィが苦笑して、
「いえ、今のはセレンが大げさだっただけです。私は大した者ではありませんよ……いい風が吹きますね、今日は」
「船も順調に進んでいるようですよ」
 カミルが船の進んでいる方向をたしかめながら、口を挟む。
「ん? おお。今日は本当に順調だな」
 シグリィとカミルの二人で、話をそらすのに成功したようだ。
 セレンは元より話がずれることを気にするタチではない。
「あー、いい天気! これでこのまま人肉種が現れなければ万々歳ですねー」
 この言葉がいけなかったのだろうか。
 ほんの数秒後だ。数秒後……
 空に、無数の黒い影が現れたのは。

「人肉種……!」
 ジオが身震いした。「なんてぇ数だあ!」
「噂をすれば影になっちゃったのかしら……」
 セレンが風に流れる長い髪を払いながら、むうと膨れる。
「別に人肉種がそんなもので現れるとは思えんが。とりあえず、セレン。いけるか」
「はい」
 セレンはくるくると杖を回した。そしてそれを両手持ちに構え、近づいてくる大量の翼持つ獣たちに掲げた。
 張りのある女の声が、海上を滑っていった。
「風が呼ぶ一陣の嵐をそして呼ぶ戦神の業火を!」
 限定範囲内突風――そして、生まれるは炎。
 風で動きを乱された《獣型》が、次々炎に呑み込まれていく。
 燃え尽きる前に海面に落ちることさえなかった。それほどに強い火力だ。
 その上、吹き荒れた突風が水面を揺らすことさえない。
 ジオが、感心したように口笛を吹いた。
「すげえなぁ、嬢」
「油断しないで! 左からまだ来ます!」
 カミルが鋭く声を放ち、ジオの前に立つ。セレンが左を向く。シグリィは左から来る影をセレンに任せ、向かって右側に注意を置いた。
「鋭き風に裂かれるものなし!」
 セレンの詠唱が終了し、発動した具現力は左からきたケダモノを切り裂いた。
 普段はおまぬけな女だが、戦闘についてはプロだ。
 そしてそれは、ジオを護るカミルについても同じこと。
 任せておいて大丈夫――
 自分は自分の役割を果たせばいい。セレンが今目を向けられない場所の偵察。
 右側からは……
 黒い影は襲ってくる様子がない。
 ちょうど東の方向で、距離はともかくこのまままっすぐ行くと、とある島国にたどりつく。
 シレジアという名の神秘の島へ――

 人肉種の襲撃はしつこかった。セレンが何度炎の餌食にしても、次から次へとやってくる。
 ジオが親指の皮を噛んでいた。
「くっそ、島の方向からきやがらぁ……島の連中は無事なのかっ」
「焦らないでジオさん。どうか、今は大人しく。あなたが餌食になってしまっては意味がありません」
 地団駄を踏むジオを、カミルがなだめている。
「――島の人々に会いたいのはジオさんでしょう」
 そう言われてしまうと、暴れたがりに違いないジオも、渋々カミルの後ろに立っているしかないのだ。
 揺れる甲板の上。
 カミルは極限まで精神を集中させ、瞬間移動で目の前に突然現れた人肉種をあっさり斬って落とす。
 連続して現れても同じだ。彼の剣の速さは常人では目に留まらぬほど。カミルを無視してジオの目前に来た者も、その姿を見るまでもなく剣の一閃だけで斬った。
「……怖ぇのは、お前さんらの気がしてきたなァ」
 ジオが呆れ半分でつぶやいた。
「あ、ひどーいおじさん! 護ってあげてるのにぃ」
 セレンがすかさず文句を言った。
「旅人はこれくらい能力がないとやっていけませんよ」
 シグリィはジオの顔を見ずにそれだけ言いながら、ただ東の方向を見つめていた。
 シレジア王国。
 ――五年間旅をしてきて、まだ一度も足を踏み入れたことのない土地だが。
(アプロス……)
 つい感傷に浸ってしまった。ばか、何をしている、とどこからか怒鳴り声が聞こえた気がして、慌てて頭を振る。
 気持ちの切り替え。異変はないかどうか。
 西に太陽が落ちるこの時間帯。シグリィが見つめる東はどんどん暗さを増していく。
 暗い。黒というよりは、紫色に変わっていく。
 その美しくもどこか不気味にも見える空の彼方から――

 何かが、飛んだ。

 東から、西南西に向かって。

「―――!?」
 なんだあれは!? シグリィは緊張する。
 人肉種ではない。ましてや星でもない。青い光だった。海の色の青だった。
 シレジアの方向から、
 ――“福音の島”の方向に。
「今のを見たか!」
 シグリィは他の面々の注意を促した。
 しかし数秒で消えた青い光を、他に目撃した者は一人もいなかった。
「なんだ、あれは……」
 考えている暇があるのはシグリィぐらいなもので、セレンもカミルもジオも人肉種の対応におわれて忙しい。
「何か見間違えたんじゃぁねえのかぁ」
 ジオが気楽にそう言った。
「―――」
 シグリィは唇を噛んだ。見間違いも何も、青い光であること以外何も分からなかった。
 なのに、なぜか心に響く。
 あの青い光が、自分の胸の奥に落ちたような。
 自分の胸の奥で、助けを求めてほのかに光っているような。
 あの青い光が飛んでいったのは――
 シグリィは南南西をにらむように見た。
「――っ、島に、急ぐ! ジオさん、スピードを上げることはできますか!」
「おあぁ? 人肉種がいるってぇのに、危ねぇぞぉ」
「急ぐ必要がある気がするんです!」
 それを聞いた、シグリィの護衛二人が反応した。主の願いを聞き届けるために。
「我の邪魔をするもの、微塵にして空なり! 破爆!」
 セレンの高らかな詠唱の直後、人肉種の群れが中央から大爆発を起こした。
 これにはさすがに波が起きて、船が激しく揺れた。
 カミルがジオをかばう。シグリィは身を伏せる。
 荒っぽいが、これはたしかに効く。広範囲爆発術――
 目に見える人肉種がきれいにいなくなった。
「よっしゃ!」
 ジオが張り切って舵の元へ行き、スピードを上げる。
「もうどうなっても知らねぇ! 限界まで上げるぞぉ!」
「護りますよ!」
 シグリィは大声で返していた。
「この船もあなたのことも、絶対に!」
 何もかもカミルとセレンに任せるつもりはない。
 いざとなったら、自分も参戦することを、念頭に入れて。
 船がうなりを上げて動き出す。
 波をかきわけ、一直線に目的地へと――

 途中から人肉種の襲撃がなくなったのは、シグリィが“結界”を張ったためだった。
 結界。境界線。
 自分の認めたもの以外の通過を不許可にする摩訶不思議な線。いや、半円状になって彼らを包んでいると言った方が正しいか。
 透明なその結界は、シグリィ以外の誰も探知はできないが、シグリィよりも強力な存在が現れれば突破される。
 ……自分より強力な存在など、この大陸にそうそういないはずだ。少年はそれを知っている。
 もしいたとしたら、
 それは神をも超える力の持ち主なのだろう。
 そんな人間はまず存在しない。そう思っているから、シグリィの心にはいつも余裕があって。態度にもそれが出て。生意気と呼ばれることもある。
 そう言われても彼には分からないのだ――自分より強い者が目の前に立ちはだかる“危機感”というものが、どんなものなのか。
 殺される恐怖に襲われるというのは、どういうものなのか。
 ――どんなことでもそつなく器用にこなしてしまう部分も、色んな人間に横目で見られる原因となった。
 大して気にはしていない。自分はこういう存在なのだから仕方がない。

 そんな自分が、初めて思う。何か変だ。胸騒ぎがしてたまらない。
 すべては、あの青い光のせいか。
 あれはなんだ? 考えても答は出ない。
 自分をこんなに不安にさせるものは、他にはなかった。

「おらおらー!」
 ジオが叫んだ。
「島が見えてきたぞー!」
 シグリィははっと顔を上げた。
 水平線に、うっすらと陸の線が見えていた。
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