リーディナの炎が踊る。
その中で、ラナーニャは駆け回った。
巫女装束は邪魔だ。足のところにスリットが入るように破り、地面を蹴って飛び上がっては、人肉種《獣型》の脳天を叩き斬る。
同時に横から飛びかかってきた獣をもう片方の剣で下から斬り上げた。さらにそれを振り下ろしてもう一匹、横薙ぎに振るってもう一匹。
弱い《獣型》で助かった。自分でも相手が出来る。ラナーニャは心底安堵しながら、それでも油断大敵と気を引き締める。
敵は数が多い。
動きを止めるわけにはいかない。
前から右から左から。後ろから来るものはリーディナが始末してくれる。何より背後を取られないことを、剣の師匠に習ってきた。
足の周りで揺れる衣装が邪魔で仕方がない。もう乾いているのだが、ラナーニャはドレスで戦う練習をしたことがない。
それが仇となって、
「う……っ!」
スカートに足を取られた瞬間、獣の爪が脇腹を引き裂いていった。
「姫様!」
「大丈夫だ!」
出血はある。けれど戦えないほどではない。ラナーニャはすぐに自分を攻撃してきた獣を斬り、返す刃でもう一匹を消滅させる。
「あらあら」
妹の呑気な声がした。
「さすが姉様」
城門でこれほどの騒ぎが起きているのに、他に誰も出てこない。
胸騒ぎがした。ぞわぞわと体の奥を這い上がってくる不審感。
クローディアの背後を見すえた。
前庭につながっているはずだが、何の灯りなのか不明なまぶしさが、全てを覆い隠している。
城門の人肉種が半分以下に減ったのを確認し、
「リーディナ、ここを頼む!」
「姫様!? おやめ下さい!」
「心配なんだ……!」
何が? 弟が? 叔父が? 高官たちが?
いや、もっと根本的な何かが――
仕方ないと諦めたのか、リーディナの炎が後押ししてくれた。まぶしく燃えて、クローディアの視界をつぶす。
「あん、もう!」
暴れているクローディアの傍らを、ラナーニャは駆け抜けた。
まぶしい光の中へ――
光は、前庭を囲うようにしてあるだけだった。
前庭自体は光っていない。ただ、この夜だというのに周囲の光で鮮明すぎるほど鮮明なヴィジョン。
オーディがいた。
ヴァディシスがいた。
高官たちがいた。
弟が真っ先に嬉しそうに両手を広げて、
「お帰りなさい、姉上」
と言った。
ラナーニャは、弟から一歩ひいた。
体が芯から冷えるような気がした。まるで聖水に浸った、あのときのような。
「どうしたんですか、姉上。今夜はめでたい宴の日ですよ」
にこやかな弟。双子のクローディアに比べると、こちらは随分大人びている。
――オーディは白い服なんだけれど――
クローディアの言葉がよみがえる。
――時間が経つと色が変わってしまうから――
う、と嘔吐しかけた。弟の姿に。
オーディは白い王族正装だった。ただし、
真っ赤に血塗られた――
オーディが右手にぶらさげている剣から、血がしたたっている。
彼の手の甲が見えた。――白虎の《印》。
そしてシレジア王族の彼は、朱雀の《印》も同時に持っているのだ。
「よく帰ってきたね、ラナーニャ」
と進み出たのは叔父のヴァディシスだった。こちらは血塗られた服装ではない。いつもの気ままな服装だ。
「今夜は、新王誕生の宴なんだよ。事実上の戴冠式かな」
「た――戴冠式に――」
ラナーニャは見つけてしまっていた。
オーディたちが、その背後に隠しているものを。
いや、彼らとしては隠しているつもりはないのかもしれない。ただ単に、彼らはそこに並んでいただけなのだろう――
「戴冠式に、なぜ城内の者を虐殺する必要がある!」
そこに、あったのは、死体の山。真っ赤に染まった山。
嘔吐――しなかったのが――本当に不思議で――
「ラナーニャ」
言い聞かせるように、ヴァディシスは言った。「王たる者、これくらいは出来なくてはやっていけないのだよ」
「なにを馬鹿な……!」
「王が変わる。すなわち国が変わる。古い人間はいらないのさ」
ラナーニャは襲ってきた嫌悪感と、そして恐怖におののいた。
「ま――まさか、私に、それを、やれと」
「まさか。もう城内の者はあらかた殺してしまいましたから。姉上」
オーディが剣についた血をぴっと払い、刃を舐めた。
「――次の王はわたしです」
「オーディ……?」
「その通り。次の王はオーディ・ブラッドストーンと決まった」
ヴァディシスが、オーディの肩を抱いた。「言っただろ。僕は次の王の後見人になると」
「そ、それは私のことでは」
「いったいいつ誰が、ラナーニャの後見人になると言ったかな」
そう言えば言わなかったかもしれない。
「いいじゃないですか」
オーディは快活に笑った。誇り高い笑いでもあった。
「姉上は、王の座に座るのに気が進まない様子だったのですし」
「――正気の沙汰じゃない――」
ラナーニャはもう一歩退いた。
前庭の草を踏み、その柔らかさに、そのまま沈み込んでしまいそうな錯覚に陥った。
ヴァディシスが眉をひそめて、
「いかんな。お前だって城門で人肉種を殺してきたのだろう」
「―――!」
「その上で、僕たちを正気の沙汰じゃないと言うのかな。お前も、人殺しだというのに」
人肉種も人間なのよ――
ああクローディア、お前もこの男たちの仲間か、
そう思ったとき、オーディが満足そうに笑んだ。
「……リーディナはよくやってくれた」
「!?」
突然側近の名を出され、ラナーニャはひるんだ。
「見事姉上を手の上で転がしてくれた……わたしたちの都合のいいように」
「な……!?」
「何を驚きですか? リーディナ以外にいないではないですか、姉上のお帰りをこの城に伝えることが出来た人物なんて」
瞠目。一瞬にして、口の中がからからに乾く。
馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な――
「リーディナがこちら側の人間でよかった。あの人の力は尋常ではありませんからね」
オーディは勝ち誇ったように言う。
ラナーニャは頭がひどく重くなって、うつむいた。
聞こえてくる、声……
強く、誇り高くあって下さい。
姫様。
ねえ、誇りとはなに? リーディナ。心の中でラナーニャは問いかける。
誇りとは。
――誇りとは。
自分を――信じること!
……シレジアの第一王女は、ゆっくりと顔を上げる。
その表情に、オーディが不審そうな顔をした。
「私を騙そうとしても無駄だ、オーディ」
ラナーニャはきっぱりと言った。
「リーディナは私の側近。今も昔も、私を裏切ったことはない」
「随分おごっていらっしゃる」
オーディは呆れ果てたというように肩をすくめた。
しかしラナーニャは背筋を伸ばす。誰よりも誇り高くあれ。そう願ってくれた人のために。
「リーディナの口から聞いてはいない。私の誇りは、お前などに壊されるものではない」
弟が、ちっと小さく舌打ちしたのが分かった。
勝った。そう思った瞬間、
「その当のリーディナなら、死にましてよ」
背後から声。
ぞっと冷や汗が流れた。うふふふ、と怪しい笑みが見えるようだった。
妹は、とても軽快に、遊ぶような声で、
「リーディナはね、花火のように、パーンと弾けて……キラキラと散ったの」
嘘だ。
リーディナはそんなに弱くない。私の信じるリーディナは……
強く、誇り高くあれ。
そうとも、強く、誇り高くあれ。
「信じるものか。私の……誇りにかけて」
ラナーニャは、弟妹に挟まれて、それでも矜持を失わなかった。
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