ハヤナが案内してくれた家は、村はずれにある――
村の中ではたしかに一番大きい家だった。
壁は乳白色、屋根は赤い。基盤は粘土造りの家であることを思わせる。
「この島に最初に渡ってきた人が一番に作ったんだ」
と言って、ハヤナは誇らしげに笑った。
「それ以来、この家は特に頑丈になるように――みんなで何度も、何度も補強して。壊れかかったところはもっといい材料探して繕って」
補強したんだ、と言った彼女は自分の両手を見下ろす。
シグリィはハヤナの手を見て納得した。チェッタをも持ち上げた力持ちのその手は皮膚が厚い。指も、同年代の女性を思えば太い。傷も多い。
少年のような装いも、身軽さと安全面を重視したためなのかもしれない。
ハヤナは自分の手を見て嬉しそうに笑った後、その手でもう一度目の前の家を指差した。
「――いい家だろ!?」
素朴な家は、晴れ渡る青空の下に堂々と建っていた。
「家に入る前に、お前らに言っておくことがあるっ!」
ハヤナがドアを開けようとするのを制して、チェッタがドアの前でふんぞり返る。
「マーサは美人だからな! お前ら手ぇ出すんじゃねえぞ!」
ぎんっ! とにらむ相手はもちろんシグリィとカミルだ。
「お前は何を言い出すんだ!」
ハヤナがすかさずチェッタの襟首をつかむ。放せとチェッタはばたばたと暴れて、
「マーサと! ハヤナは! 俺が護るんだ!」
「……いつも思うんだがなあ、チェッタ」
ジオが呆れ果てた様子で腕を組む。
「グランウォルグ人でもあるまいし、お前その口癖はどこから来てるんだぁ?」
「うっせぇ!」
「どうせユードだろ。ああもう、少しは大人しくしろ、チェッタ!」
「ユードぐらいになるにゃ、まだ早ぇな」
ジオはぐしゃぐしゃと少年の頭をなでた。チェッタは下からジオをにらみ上げた。
「早くない! 決心した瞬間から、男になるんだ!」
「甘い。実行がともなわないとまだまだだ。まずは洗濯からだぞチェッタ」
「俺の仕事は洗濯じゃねー!」
青空に響き渡る少年の声は切実だった。よほど洗濯が嫌らしい。
――ハヤナとチェッタの姉であるマーサは、長い髪を三つ編みにした、穏やかな風情の娘だった。
「弟がお世話をおかけしました」
困ったようにそう言って、真っ先に頭を下げたところを見ると、玄関前での会話が聞こえていたようだ。
どうぞお座りください、とシグリィたちを居間の椅子に座らせた後、自分はすぐに台所に姿を消す。
その慣れた動作を目で追って、
「この島には客が多いということか……」
とシグリィはつぶやいた。
「客じゃねえ。九割方『仲間』だ」
木製の椅子にどっかと座ったジオが言った。そんなジオを感心したように見たのはセレンだ。
「まるで自分もこの島の住人みたいね、ジオさんて」
「まーな。俺ぁ元々、年の大半漁に出てるか、出稼ぎに行ってるかだからよ、ガナシュに定住してる気は薄くてよ」
「だからガナシュではあんなにガラ悪いの?」
「うるせーぞ嬢ちゃん」
ジオはセレンに凶悪な顔を見せた。「うきゃっ」と妙な声を上げて身を引いたセレンを横目でため息と共に見たカミルが、話題を変える。
「ジオさんがこの島に初めて来たのは、いつなんですか?」
「あん? 俺か。そうさな、四年前からだ」
「四年――」
台所を見続けていたシグリィは、視線をジオに移した。「きっかけは?」
「四年前の月闇の扉であまりにもひどく街がやられたもんだからなあ」
ジオは窓から見える西日を見つめて、深々と嘆息した。
「この薬草島に、怪我人用のいい草はねえかとすがる思いで海を渡った。そしたらどうだ、先にこいつらがいるじゃねえか」
シグリィはハヤナを見た。
視線に気づいて、ハヤナは微苦笑した。
「あたしは、五年前からいる。一番古い人で、六年前だよ」
彼女は居間の壁に目をやって、「……ユキナがそうだったはずだから」
つぶやいたその声が寂しそうで。
彼女の視線の先にあったのは、一枚の絵画。
あまり出来のいい絵ではなかったが、とても優しいタッチの絵だ。
(海の絵か……)
“ユキナ”とはいったい誰だろうと思ったそのときに、ジオが横で腕を組んでうなった。
「あの若さで死んじまったからなあユキナは……お前ら知ってるか、この島には二十歳以上がいねえんだ。だから、《印》なしは二十歳になると死ぬと思われてるんだよ」
「ジオ」
ハヤナが絵から視線を戻して、ジオをにらみつけた。ジオは太い眉を寄せて、
「隠してもしょうがねぇだろう。こいつらはこの島のことを知るために来たんだからな」
「………」
「俺はそんなに甘くねえぞ!」
大声で割り込んできたチェッタは、シグリィたちの前に立つと、さらにまくしたてた。
「俺らは、俺らの力で生きるんだ! 邪魔すんな!」
「チェッタ、よしなさい」
台所に行っていたマーサが戻ってきて、お盆にのせていたコップを客人の前に置いていく。
「……大陸にはジオさんのような方もいます。分かっているでしょう」
マーサに穏やかにいさめられたチェッタは、ふんとそっぽを向いた。そしてどかどかと強い足取りで台所に行くと、お茶を注いだコップを手に戻ってきた。
「チェッタ?」
「俺はあいつのところにいく」
「……あの子? あの子のことはハヤナに任せて――」
「いいじゃねえか。俺みたいなガキのほうがきっと通じる」
「あ、ガキって自覚してるんだ」
セレンが余計なことを言い、カミルにつねられた。
チェッタは意気揚々とどこかの部屋に向かった。
ノックする音がして、「はいるぞー!」と元気な声。シグリィたちの目の前で見せた様子とは別人のように機嫌がよさそうだ。
ハヤナが苦笑して、
「チェッタは女の子全般が好きだから」
「え、じゃあ私も危ない!?」
セレンがとっさに引くと、マーサが困った顔をして、
「その……。あの子は、《印》のある方を、毛嫌いしているので……」
「あ、そっか」
すぐに納得するのがセレンの美点。なのかどうか。
そもそもチェッタにとっての“女の子”の基準値に、当年とって二十六歳のセレンが入るのかどうか、謎だ。
シグリィはコップに手を伸ばしながら、
「……以前にも、《印》持ちの人間は、ここに来たことがあるんですね。ジオさん以外にも」
「いますよ」
マーサが静かに答える。「皆さん、この島を救うために来たと、おっしゃっておられました」
「それがどうだ。やつらが帰った後も、大陸じゃ何の動きもねえ」
不機嫌そうにそう言ったジオは、苛立ちを紛らわすようにがぶがぶとお茶を飲んだ。
(――大陸では、島の情報はほとんど流れていない……)
シグリィの見下ろす手の中の薬草茶。
その濃い茶色の混濁が揺れている。
(なんだか……ひどく、見通しが悪い気がするな……)
もやもやした気持ちが晴れない。
目の前にいる、“印なき子供たち”はとても明るい表情をしているのに、その口から出る言葉になぜこうも揺れる?
混濁の中心にあるものは、なんだ――?
「シグリィ様」
セレンの手が、ぺしぺしと肩を叩いてきた。
顔を上げると、長年の連れの二人が微笑して彼を見ていた。
「飲みましょう? 薬草茶はいつだって、人の体にいいんですよ」
「―――」
シグリィは自然と笑みを浮かべていた。
「そうだな。――いただきます、マーサさん」
マーサがにこりと微笑む。
その横に座っていたハヤナが、ふと口を開こうとしたそのとき。
二階から駆け下りてくる豪快な足音が、ハヤナの言葉を封じた。
と思うとチェッタが居間を抜け台所にコップを放り出すと、そのまま玄関へ走っていった。
「チェッタ! お客様の前でどうしたの!」
「いねえ!」
チェッタは戸口を開けながら、焦った声で言った。
「いねえんだよ、あのねえちゃん!」
ハヤナとマーサが瞠目した。マーサはお盆を落とし、ハヤナはすぐさま立ち上がる。
「捜しに行かないと……!」
ジオも険しい顔をして立ち上がり、
「お前らも手伝えや」
「あの、《印》のない人は、自殺しやすいのです……!」
重ねてマーサが必死の態で言った。シグリィたち三人は一斉に立ち上がった。
「それに、それにあの子は――」
マーサが真っ青になって頭を振る。
「他にも問題が?」
飛び出して行ったチェッタの後を追いながら言葉を促すと、
「あたしが言っただろ!」
ハヤナが割り込んできた。「あの子は――」
「記憶喪失なんだよ!」
一刻も早い保護を。一刻も早く。
この世をはかなんでしまわないように。
《印》なんてなくてもこの世にはまだ生きていていいのだと。
そして――
失われた過去に、何があったのかを憂えてどうか独りで沈んでしまわないで――……
「青い星が落ちたんだ」
外へと一斉に飛び出している最中、ハヤナがぽつりとつぶやいた。
「青い青いきれいな光。思わず落ちた場所へ走った」
――青い光?
まただ。また心臓が揺れ動く。
ふりこが心の中にあるかのように。何かに向けて刻を刻んでいるかのように。
「そうしたらそこに」
――流れ星は昔から、地上に達したら人間の姿を取るのだと、
「女の子が一人で倒れていて」
大陸では信じられていて、
けれどあの青い光は本当に流れ星?
その少女に会わなくては。
心の振動がおさまらない。
彼の衝動を突き動かして、おさまらない――
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