「シグリィ様?」
青年の声がする。寝るのではなかったのですか、と。
少年はじっと空を見上げていた。
静謐な夜空。星さえ見えない、永遠に底のない闇の世界が、視界いっぱいに広がっている。吸い込まれそうでいて――逆に、押しつぶされそうな威圧感。
小さな岩に片足をかけ、天上を仰いでいた彼はつぶやく。
「セレンはもう眠ってしまったかな」
「ええ、ぐっすりと」
「そうか……なら私たち二人は、今夜は、眠らない方がいい。危険だ」
「え?」
「見ろ」
指を指す先――
青年が、はっと息を呑む。なぜ気づかなかったのだと悔やむような顔。同時にその顔には深い疲労の色がどっと出た。
「……もう、二年も経ちましたか」
「そうだ。丸二年の、春だ」
青年の吐息が、今夜という夜の憂鬱を示していた。
暖かい春の……夜。
それが、こんなにも息苦しい。
シグリィは目を閉じる。
「……聞こえる。魂たちの声だ。……何度聴いても、重苦しい」
それは叫び声のような、
唸り声のような、
笑い声のような、
泣き声のような、
そしてすべてを超越した、声ではない声のような、
……生まれたばかりの赤ん坊の、産声の、ような……
まるでそれに導かれるかのように、声が流れ出る。
「生まれる……また、人間に害なす存在が」
傍らの青年の、静かな息づかい。ほとんど消えてしまったかというほどにかすかに聞こえるそれが、今はとてもありがたい。
シグリィは瞼を上げる。
「二年に一度繰り返してきたこれが……千年。まったく、人間はよく絶滅しなかった」
「この大陸から、ですか」
「そう、この大陸から」
初めて顔を青年に向けて苦笑をみせると、それから真顔になり、
「カミル」
と彼の名を呼んだ。「大丈夫だな? 徹夜に耐えられるな」
「少なくとも私たち三人の中では、一番体力があると自負していますが」
「それはそうだ」
くす、と笑って彼は岩から足を下ろした。
再度、天を仰ぐ。
大陸を包むかのようにある闇が、黒い天幕に覆われたかのように感じさせる。とても圧迫感がある。出口はどこだと、探したくなる。
今、この空に――
唯一ある光。
月。
いつもならば何の変哲もないはずの月が、今は中央から穴が開き、まるで黄金のリングのような形になっている。
少年の唇が、吐息のような言葉をもらした。
「……“月闇の扉 開く時 世界は絶望に包まれる”……」
月の中央に開いたのは、そう、扉。
きらきらと光る外側の円。まぶしいほどに目に焼きつく。
反対に中央の闇は、目にしてはいけないゾーンのような――そこをのぞけばもう永遠に、他のものは見えなくなってしまいそうな危うさ――……。
彼は目を細める。
腕組みをし、ひたすら天を眺めていた。
腕組みをして、どこかを眺めているのは、彼が考えごとをするときの癖で――
邪魔をすまいと思ったのだろう。青年の方はシグリィには話しかけずに、その場にいるもう一人の存在、寝袋ですーすーと眠っている女の様子をたしかめていた。
シグリィは眉根を寄せる。
「……なぜだ? まだ時は熟していない――」
独り言に反応して、聞いていた青年が動きを止めた。
彼がこちらを見る気配を感じながら、シグリィはまだ独り言を続けていた。
「こんなことは予定になかった。……予定通りに進まなければ、私は」
さらに唇は動いたが、それは誰にも聞こえない囁き。
「シグリィ様?」
シグリィは天から視線を下ろした。
何もなかったかのように、顔には無表情が貼り付いていた。
けれど――心配そうな連れには、言わなければなるまい。
「紅い星が落ちた」
青年が瞠目した。
月闇の扉から……
流れた……星。
視線は自ずと、その方角へと向く。――南。
「南――シレジア。アプロス……」
最後のつぶやきは、傍らの青年にもはっきりと聞こえた。
「まだだめだ。私はまだ、完成していないんだ」
シグリィ。
――十六歳になって初めて迎える、春の夜。
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