ガナシュの町にたどりついたのは、おおよそ予定通りの時間――昼の一時だった。
町に近づくにつれ鼻がその気配を察していた。潮の匂い。
海が近い。
当たり前だ。ガナシュはこの大陸でも珍しい、船着場のある町なのだから。
「海の匂い久しぶりっ!」
町の門の前で、セレンがうーんと気持ちよさそうに伸びをした。
「はあ、爽やかっ!」
「船着場はもっと爽やかでしょうね」
カミルは剣をおさめながら、ようやく表情をやわらげた。
ほんの数分前まで、《獣型》人肉種と戦っていた。その名残を、町の中にまで持ち込みたくはない。
しかし、爽やかな気分に浸っている場合ではなさそうだった。
町の門は――破壊されている。誰によって? 聞くまでもない。
人肉種探知は主にシグリィと、勘の鋭いカミルの仕事だ。カミルが剣をおさめた以上、ここにはもう人肉種はいない。
「……いないんですよねえ?」
と、パートナーの様子から勝手に判断したセレンが、不安そうにシグリィに訊いてきた。
「いない、な」
眉根を寄せて、シグリィはとんとんと爪先で地面を打つ。
「血の匂いもおさまっている。町の人々の団結力が戻るのが早かったか」
人間の血肉を求める人肉種だが、人間が群れるとめっぽう弱い。いや、能力的に弱くなるのではない。どうも本能的に、群れた人間は怖いと考えるらしい。
それが証拠に、普段人里に人肉種が襲いかかってくることは滅多にない。
人間にも、バリアを張る能力があるという。それはたしかな力ではない。けれど効果的なバリア。
自分と異質のものを疎外するというバリア――
人間関係でよくあるそれが、人里という大きなものとなって、人肉種を排しているというのが、もっぱらの説だ。シグリィもそれを否定することはない。
そんな防衛手段を持っている人間でも……昨夜は特別だ。月闇の扉が開いた、その当日とあっては。
「まあ、このままここで立ち往生していても仕方がないな」
シグリィは二人を促して、中に入った。
一言に言えば――
町の中は、悲惨な有様だった。
あちこちに血が飛び散っている。肉の破片もあるようだ。何の肉かは当たり前すぎて、考えたくもない。
特にメインストリートに面する家々の壁に損傷が多い。そして複数の人々が家にも入らず、住居の壁にもたれていた。日向ぼっこしているわけでもあるまい。
足を抱えてうずくまっていたり、頭を抱えてうめいていたり、すでに倒れていたり、複数で寄り集まって震えていたり。
人肉種の襲撃はかなりの痛手だったようだ。
そんな心をぼろぼろに引き裂かれた人々に、シグリィは近づいた。
「こんにちは」
寄り集まった子供たちの集団。一番歳上そうな子供が自分と同い年ほどに見えたためその集団を選んだのだが、やはりびくっと震え、警戒されてしまう。
笑顔を見せて、
「私たちは旅人なんだ。怖がらなくてもいい」
「た、旅人だと」
案の定、自分と同い年ほどの年長の少年が、周りの子供を護ろうと両手いっぱいで抱えながら、ぎらぎらした目でにらんでくる。
「そう、旅人」
「嘘だ、月闇の扉が開いた後に平気な顔で現れる旅人なんて」
たしかにそれは正しい。現に二年に一度扉が開くたび、シグリィたちはこうやって疑われてきた。
しかし、くぐりぬけてきてしまったものは仕方がない。
「運がよくてね。……信じてもらえなくてもいい。この町も大変な目に遭ったんだろうな」
ぐ、と少年は奥歯を噛んだようだ。
「ど、同情はいいっ」
「同情はしていない。私たちも襲われ通しだからな。他の町村だってそのはずだ。そうだろう?」
「………」
言葉をなくした少年。シグリィは子供たち一人一人を見つめた。
顔が似ていない。残酷なことすぎて何も訊くことができないが――保護者もいないまま、ここで子供だけで固まっているということは、保護者たちが人肉種の餌食となったと考えるのが妥当だろう。
(親、か……)
必死で子供を逃がす親たちの姿が、思い浮かぶようだった。子供たちを助けるためなら、自分の命さえ盾にできる。
他の動物たちと同じ。
六年の旅で、人間にもそんなことが出来るのだと知ったけれど。
「なぜ君らは、隠れていない?」
シグリィは口を開いた。「怖いだろう。こんなところにいては……私たちのことだって、怖いのだろう」
人肉種は人を喰らい喰らい喰らい尽くして、成長していく。最初は必ず獣の姿だ。それが《獣人型》、果てには《人型》へと。
《人型》にまでなると、人間の集団自衛は効かなくなる。平気で人間に混ざってしまえるからだ。
だから自分が恐れられるのも当然なのだ。
しかし少年は、じっとシグリィを探るように見た後、
「しょ、食料を、よこせ!」
と言った。
「ん?」
「旅人なら食料持ってるだろ! 食べ物、よこせ!」
見れば小さな子供などはよだれを垂らしている。扉が開いてすぐに襲撃が始まれば、朝も昼も抜いているはずだ。
「食料と言ってもなあ……」
シグリィは困った。ちょうどこちらも切らしている。
「言っておくけどな、肉とか魚とかは断るぞ!」
唸るように少年は言った。
「分かっているよ」
――トラウマだ。人肉種は血肉を喰らうのである。
どの道肉やら魚やらは持っていないが――
考えたあげく、袋に詰めてあったブドウの実を見せた。
「これしかない。言っておくがすごくすっぱいぞ」
子供たちはそれこそ襲いかかるかのように、袋に群がった。
「こら! まずは俺からだ、毒見だ!」
そう言った年長の少年が、袋を奪い去った。そして中から――毒見というのは本心らしい、一番小さな粒を取り出し、口にした。
きゅっと唇がすぼまる。さぞかしすっぱいだろう。
しかし、しばらくして彼の顔に浮かんだのは安堵の顔。
「よーし、これなら食べられるぞみんな!」
わーい! と子供たちが歓喜した。早く早くと少年に群がる子供たちの目がきらきらと輝いている。
「こら! まずは一粒ずつだ、順番だ!」
言葉通り一粒ずつ。そして順番に配っていくと、一人三粒は回った。
しかし、年長の少年は最初の一粒以来、手をつけなかった。
子供たちは三粒のブドウの実を口に含み、揃って口をすぼめる。
そして、次の瞬間には顔を花開くようにほどけさせ、
「おいしい」
と言うのだ。
胸の奥に何かを訴えかけられている気がして、シグリィは心臓に手を当てる。
ぎゅっとしぼられているような。
けれどそれが心地いいような。
当然か。こんないい微笑みが――目の前で見られる。
ふと背後で人が騒ぐ声が聞こえて、シグリィは振り向いた。
そこにはカミルとセレンがいた。カミルは一人の青年の腕をつかんで何かを言っている。さらにはメインストリートの奥から、女性が走ってきた。
シグリィは興味を引かれて、子供たちに手を振ると、そちらへと向かった。
「どうした?」
「泥棒です」
カミルの返答は簡潔。
泥棒……
目をぱちぱちさせてカミルが腕をつかんで放さない男を見やると、たしかに数匹の魚を抱えていた。
セレンがメインストリートに視線をやる。
「あの、走ってくるおばさん。あの人のところで盗んできたみたいですよー」
男は魚を必死で抱き――抱きつぶしそうなほどに抱き、
「仕方ないじゃないか! このままじゃ飢えて死んじまう!」
人肉種に襲われた町村でよくある騒ぎだった。シグリィは男に視線を合わせて、
「……気持ちは、分かる。だが、皆同じ苦しみを抱えている中で、力を合わせて復興するんだ。だから泥棒は、よくない」
「こ、子供なんかに、何が……」
「あそこの子供たちはそれを知っていたぞ」
シグリィは今さっきまで相手にしていた子供たちを指し示した。「それを、大人のあなたが分からないはずはないだろう?」
「―――」
男は腕をつかまれたまま、がくりと膝を落とした。
……腹が減っていたんだ、と小さくつぶやき、うなだれる。
「バカだねえ、ダッハ!」
憤慨したような女性の声が聞こえて、シグリィは顔を上げる。
見れば、メインストリートの奥から走ってきた女性だった。
息を切らしながら、
「別にあたしたちは魚を独り占めしようとなんて思っていないよ。たしかに最近は水揚げ量が少なくて厳しいけどさ。――こんなときに、お前さんみたいなおバカに一食くらいご馳走する気前はあるさ」
ダッハと呼ばれた男は顔を上げた。
感激でぼろぼろと泣いていた。腕から力が抜け、ばらばらと魚が落ちそうになるのを、ダッハを手放したカミルが器用にすべて受け止める。
血肉でトラウマになる者もいる。
けれど、トラウマさえも気にしていられない者もいる。
この町の人間の優しさを感じ取って、ああそうか、とシグリィは納得する。
だから、人肉種の撤退も早かったのだ。
おそらく、彼らが喪った人々のかたきは――知らぬ内とは言え――この町に来る前に、シグリィたちが取ってきただろう。
「ほら、ついておいで、ダッハ」
女性はカミルたちに礼を言うと、ダッハを引き連れて元来た道を帰ろうとした。
しかし、一度膝をついたダッハは、立ち上がろうとしてもすぐにまた膝をついてしまう。
「ダッハ?」
「す、すまない……夜通し人肉種から逃げ回っていたから……足が」
今になって疲れがどっと出たのだ。シグリィは小首をかしげ、
「カミル、支えてやったらどうだ?」
「そうしたいのはやまやまですが、魚が」
「魚は私が持つぞ」
「私は〜……」
セレンが唸っている。
彼女が「私も持つ」と言えないのは、魚の生臭さが服につくのが嫌だからだろう。彼女は旅人の癖にオシャレ好きなのである。
「お前は働かなくていい」
シグリィに言われ、セレンはほっとしたのを満面に顔に出した。分かりやすい女だ。
そんなやりとりを唖然と見ていた魚屋の女性は、やがてぶっと噴き出して、
「なんか変な人たちだね。……あんたたちも少し食べて行くかい」
「それが可能なら、お言葉に甘えたいです」
シグリィは微笑みとともに言った。
そうして許しを得て、シグリィは魚を持ち、カミルはダッハに肩を貸し、セレンだけは自分の杖一本、くるくると回しながら、ぞろぞろと魚屋の女性の後ろをついていった。
シグリィは思う。人々を救うのは、最終的にはいつだって人々なのかもしれない。
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