月闇の扉 - 4-sideA 海の男
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 ダッハを救った女性――名はスージー――は、このガナシュの町でも一番の料理自慢だという。
「運がいい。ご飯をめぐんでくれる方がそんな人だなんて」
 シグリィは微笑んでスージーを見る。
「坊ちゃん、口がうまいねえ」
 スージーは呆れたように言った。まんざらではないようだが。
 スージーの家の食卓。
 テーブルを囲んでいるのは、ダッハ、シグリィ一行の四人だけだ。スージーは傍らに立って、ただ見ている。
 スージーが急いで作った、小魚のてんぷらあんかけにかきあげに、違う種類の魚の刺身。
 シグリィたちは遠慮気味だったが、ダッハは猛然と食べていた。お腹すいたと連呼していたセレンよりも食欲がすごい。
 それもそうか、とシグリィは思う。緊張の糸が切れると、余計にお腹がすくのかもしれない。
 シグリィたちの食欲は、ダッハより先にいったん尽きた。
 ふう、と息を吐きながら体をほぐしていると、ふとスージーがこちらをぼんやり見つめていることに気づいた。
「どうかしましたか?」
「いや……」
 スージーは少し赤くなった頬をぽりぽり人差し指で引っかきながら、
「あんたたち、旅人だって言うけど……よく、今まで目立たずにこられたね」
「いえ、どこでも目立ちましたよ。旅人なんて今時いませんから」
「そういう……意味じゃなくて……」
 きっぷのいい女性の典型的なタイプの彼女にしては、歯切れが悪い。
 シグリィはカミルやセレンと顔を見合わせた。
「……ま、スージーさんの言う通りじゃないですかあ?」
 セレンはスープを飲みながら、あっけらかんと言った。
 カミルは肩をすくめるだけだ。
 シグリィは首をかしげる。何のこっちゃ。
「ま、まあいいさ。――すまないね、これだけしか食べさせてやれなくて」
 スージーはごまかすように言った。
「充分ですよ。旅人の胃袋は小さいんです」
「そうそう、カミル以外」
「黙りなさいセレン。あなたはデザートに目がないでしょう」
「シグリィ様は果物に目がないんだからいいじゃないのよー」
 訳の分からない論争だ。
 結局のところ、自分たちは胃袋が本当は大きいということなのだが。そんなことをこの気のいい女性に言ったら気を遣わせてしまう。
「デザートも果物もなくて、すまないね」
 ……あ、意味がなかった。
 スージーは頬に手を当て、ふう、と悩ましげな吐息をこぼした。
「どうかしましたか?」
「いやね……月闇の扉が開く時期は、水揚げ量が本当に少ないからまいっちまうよ。商売上がったりだ」
「たしかこの町は、マビの街で商売するのでしたよね」
「さすが知っているね。……でもあの街も今頃ぼろぼろなのだろうね。二年に一度、いつものことだけどさ」
 扉が開くとき、魚を含めた動物たちは競って隠れ家に隠れてしまう。人間よりもずっと敏感なのだ。
 けれど、扉から降り立ってくる獣たちが狙うのは動物ではなく人間だけ。
 皮肉な話ではある。
 一説には、動物たちは人間に、「逃げろ」と教えてくれているのだという。
 それもありえない話ではないなと、シグリィはその説も否定しない。
 現にそれを信じる東部――植物・動物を司る神コーラインが護る東部では、動物の動きで扉の開く時期を察することで、扉が開いたときの被害を食い止めている。
 その効果は統計で出ていた。東部では、被害者数が、たしかに他の地方より格段に少ないのだ。
(まあ、動物の動きを悟るのは、東部では簡単だろうしな)
 シグリィは、スージーがなけなしに出してくれた豆を一粒つまみながら考えていた。
(――動物の動きを知るに必要な青龍の《印》が生まれやすいのは東部だ)
 豆を口に放り込んだ。
 ぽりぽりとよく噛んでいると、ふと耳が音を拾った。もちろん自分が豆を噛む音ではない。どしどしという重い足音――
 やがて、
「ダッハはいるかぁ!」
 スージーの店の店頭から、野太い大声が聞こえた。
 その瞬間、ダッハは飲もうとしていたスープを噴き出した。
「きゃあ、汚いったら〜!」
 セレンががたっと席を立って逃げ出す。カミルが冷静に、テーブルに置いてあったおしぼりでテーブルを拭いた。
 シグリィはスージーの動きを目で追った。
「ジオ」
 スージーは店につながるドアに行き、壁によりかかるようにして嘆息した。
「人の店の前で迷惑だよ、あんたの顔は怖いんだから、その上大声出されちゃたまんない」
「余計なお世話だスージー。うちのバカ息子が世話になっているようだな」
「ああ、世話してるよ。まったく……」
 ダッハ、とスージーが肩ごしにこちらを向いて、青年を呼んだ。
 ダッハは振り向かずに、肩を縮めて震えていた。
「ダッハ、諦めな。家に帰ってこってりしぼられるこった」
「ううう……」
「ダッハ!」
「こら、勝手にうちの中に入るんじゃないよジオ!」
「うちの息子がそこにいるんだろうが……!」
 スージーが戸口でもめている。シグリィは立ち上がって、とことことそこへ行くと、
「ダッハさんはまだ準備が出来ていませんよ」
 とスージーの肩ごしに言った。
 見ると、ジオというダッハの父親はそれほど背丈はない。シグリィよりは高いようだが、イメージのような大男ではない。
 ただし横幅のがたいはいい。
 シグリィはすぐに見つけていた。ジオは、肩に碇の焼印がある。
 ――海の男だ。
「誰だこのガキは」
 ジオはじろりとスージーを見た。
「旅人だってさ。ダッハがうちの商品盗もうとしたとき、ダッハを止めてくれたんだよ」
「……ふん」
 礼もない。ただ、「ダッハを出せ」とジオは唸る。
「嫌だよ!」
 とうとう、当のダッハが声を上げた。見やると、頭を抱えている。
「親父は正気の沙汰じゃないよ……! こんな時期に、海に出るなんて!」
「仕方ねえだろう! 俺たちが行かなきゃ誰が行くってんだ!」
「あ、あの島にはまだ蓄えがあるだろう! 今行かなくたって死にはしないよ!」
「この大馬鹿野郎!」
 ダッハが吼えた。近くにいたスージーが耳をふさいだ。シグリィは平気な顔で聞いていたが、ダッハの方も耳をふさいでいる。
「あの島にも人肉種が仮に行っていたらどうする気だ! 誰も助けてやれんぞ! 俺たち白虎が助けてやらなくてどうするってんだ!」
「知らないよ! 大体白虎なのは親父であって、僕は青龍――」
「青龍の方が余計に必要だろうがっ!」
「ジオ! いい加減にしておくれよ!」
 たまらずスージーが叫んだ。しかしジオがなおも口を開こうとするので、
「はい、いったん休憩」
 シグリィはぴんと空中で指を弾いた。
 ばん、とジオの額が弾かれたような音がして、はっとジオが我に返った。
「話すときは落ち着いて。かっかしてては伝えられることも伝えられない」
 大道芸人の手品師のように、シグリィは両手を大仰に広げる。
 ジオは狐につままれたかのような表情をしていた。なぜ自分が突然怒鳴るのをやめてしまったのか、自分で理解できずに混乱しているのだろう。
 シグリィは知らんぷりで、
「ジオさん、ここはいったん撤退なさってください。お話はダッハさんから聞きますから」
 ――なぜ、通りすがりの旅人がダッハから話を聞かなくてはならないのか。
 そんなことさえ疑問に思わないまま、ジオは首をかしげかしげ、スージーの店から出て行った。

「え、ええと……お礼を言うべきなのかな……」
 席に戻ってきたシグリィに、おそるおそるダッハは顔を向ける。
「別にいいですよ」
 シグリィはすまし顔で返し、テーブルがカミルの手によってきれいになっていることにとりあえず満足した。ちなみにカミルは、キッチンに行っておしぼりを洗っている。
 スージーが戻ってきて、
「スープのおかわりはいるかい」
 ダッハはうつむいて、首を振った。
 やがてセレンがテーブルについたとき、ダッハはぽつりと言った。
「僕は青龍なのに、働かなくてずるいやつだと思うかい」
「いえ?」
 何でもないことのようにシグリィは否を言った。
 西部のこの地で青龍の《印》持ちが生まれたら、たしかに大喜びされるだろう。特に海の男たちは、魚の居場所が分かるはずだと歓喜する。
「ダッハさんは魚の居場所が分からないの?」
 セレンが忌憚なく訊く。少し間があった後、ダッハはまた首を振る。
「魚の位置ぐらいは分かる……」
「でも船に乗らないの?」
「……子供の頃」
 ダッハは抑揚なく話した。「僕に本当に魚の居場所が分かるかどうか試すために、親父が僕を海に放り込んだ。それ以来、僕は海が怖いんだ」
「あーらら」
 と、セレンは本当に何の遠慮もなく、正しい感想的反応を示した。
 カミルが戻ってきて、
「あの島というと、例の島ですか?」
 と席につく。おしぼりはまたテーブルの隅においやられた。
 ダッハはうつむいたまま、うなずいた。
「そうだよ。“福音の島”だ」
 その名前が出た瞬間、シグリィたちの間に緊張が走ったのを、ダッハは果たして気づいたかどうか――
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