其れは幼き心の傍らに―3−1
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 街について二日目の朝は曇り空。
 雨が降りそうだ――
 それを理由にやさしい伯母はやはりアリムを止めようとしたが、構わず少年は外に出た。
 疲れは、もうない。
 否、体が疲れをわざと忘れたような気がしていた。
(……そんなことはどうでもいいよ)
 自分の体には無頓着でもあり、また長年森の中で暮らした体力の自負もあり。
 そもそもこれが普段の彼のスタイルだ。突然甘やかせば、きっと余計に体調を崩す。彼はそう信じている。
(早く会いに行かなきゃ―)
 “不思議な妖精ゼルトザム・フェー”という名の店を目指し、アリムは裏通りへ向かっていた。
 大通りを離れれば、住宅が続く。そこをさらにぬけると住宅も途切れ、もっとも土地の安い地域にたどりつく。大通りからあまりに離れすぎて、不便な地域である。
 エウティスに聞いた問題の店の位置は、街の北東の端だった。
(……協会の保護も受けず、精霊術士マギサにも関係ない―)
 危ない店なんだ、と婦人は繰り返していた。
 そう、その話だけを聞けばたしかに怪しいけれど、
(人から見たらぼくだって、充分怪しいんだからね?)
 そう思って苦笑した。
 何となく足を止めると、すでにそこは閑散とした空き家ばかりの道だった。
 人々に捨てられた家――
 冷たい冬の寒気が、主のいない家をすりぬけていく。
 朽ち果てかけた建物を見上げ、彼は森の家を思い出した。
 ――あの家も、長く放っておくとこうなるのだろうか……?
 それはまったく現実味のない話のように思えた。そもそも森が冬には枯れるということさえ――街に出るまで彼は知らなかったのだ。
 枯れた樹、というものを、彼は街で初めて見た。
 ぞっとした。緑のない、その風情があまりにも寂しくて、
 死ぬ直前の人間のようだと思った。
 けれどそれでも、彼は毎年冬に街に出る。
 そして、夏にも。夏は緑の色がとても強い。冬の景色と比べては、なんだかとても心にしみる気がして。
 それは、あの森では感じられないもの……。森の中では知ることができなかったもの……
「アリムくんじゃないか……!」
 とつぜんかけられた声に、アリムははっと振り向いた。
「久しぶりだねえ……! この前の夏には来なかっただろう。いったいどうしたんだい――?」
 こんな人気のない場所に現れた人物は、気さくに笑いながら近寄ってきた。
 男性――だった。年齢はよく分からない。若いようにも見えるけれど、壮年にも見える。いつも無精ひげを生やしていることは、大人の男性としては大した問題じゃない。
 髪が黒く、服装もなぜかいつも黒づくめ。何より、
 いつも笑っているかのように細い目が、夜の闇のような色をしているのが印象的だった。
「ア――アラギさん―なんでこんなところに、」
「“なんで”は君も同じだろう。こんな場所に何の用だい? 子供がひとりで来る場所じゃないな」
 男は指輪をした手を伸ばしてきて、背の低いアリムの頭をぽんと叩いた。
 あからさまな子供扱いに、思わずアリムは声をあげた。
「ぼくはもう十七歳ですよ……! この街では、もう職だって持てます!」
 子供扱い――されて仕方がないほど、自分が幼い顔をしていることは知っている。そう、きっと十七歳には見えないだろう。昨日エウティスが驚いた顔をしていたのはきっとそういうことだと、彼はそう結論を出した。他に理由が考えられないのだ。
 しかしアラギの反応は、伯母以上に不思議なものだった。
 一瞬の間の後――面白そうに大笑いしだしたのだ。
「――そうか、もう十七か……」
 ひとしきり笑った後、アラギはうんうんとうなずいた。「もう充分な年齢だな。そうだ、職につけるくらいに」
「………」
「……以前から言っている話……まだ受けてもらえないのかな?」
「あ、あの話は――」
 アリムはしどろもどろになって、視線を泳がせた。自然、声が小さくなる。
「――冗談、だと、思ってました……」
「冗談じゃあない。何度でも言ってあげよう――君には精霊術士の才能がある。だから、わたしの元へ来てそれを習うのがいい」
 そうするべきだ、と繰り返す男。
 耳にからみつく言葉。
 ――精霊術士の才能があるんだよ。
「………」
 アリムは唇をかんだ。
「そんなの……ありえません」
「何故だ? れっきとしたマギサの私が保証しているんだよ」
「だってぼくには、」
 ――精霊が見えない――
 言いかけて彼は留まった。うつむき、しばらく黙ってから……ようやく言葉だけ繰り返す。
「――ありえません……」
 アラギが大仰にため息をついたのが、気配で分かった。
「君も強情だねえ……」
 視線をあげると、アラギは頭に手をやって苦笑していた。
「―――?」
 アリムは息を呑む。
 男の袖口がずり落ちて、腕が見えていた。
 包帯で巻かれた腕が。
「け、怪我……なさってるんですか?」
「ん……? ああ、これかい」
 腕を下ろし、その包帯の上をもう片方の手でさすりながら、アラギは軽く笑う。
 強情なやつが多いんだ。
 と、彼は言った。
 意味が分からず、アリムはただ彼を見上げる。
 アラギは絶えることのない微笑みを返してきた。
「とりあえず、私は諦める気はないからね。覚えておいてくれ。で、君は今からどこに行くんだい?」
「あ……」
 危うく忘れるところだった。慌てて「じゃあ、ぼく」と身を翻そうとする少年を、アラギは引きとめた。強引に、腕をとって。
「待ちなさい。ここらで一人歩きは危険だ――連れて行ってあげるよ」
 アリムはとっさに「大丈夫です」と言った。
「一人で行けます……一人で行かなきゃならないんです!」
 理由はなかった。
 ただ、この人とともには行きたくなかった。それだけだ。
 雨が降るよ、とアラギの声。それにさえもかたくなに首を振り。
「……そうかい。仕方ないな」
 腕が解放された。
 アリムはぱっと数歩離れ、あいさつ代わりに頭を下げた。
 そして、口を開かずに走り出した。

 灰色の空の下を、脇目もふらず走り去っていく少年の後姿を、アラギは目を細めて見送った。――元々目は細いのだが。
「……あの方向は……」
 呟く。
 そしてにやりとひとつ笑うと、男は身を翻した。

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