其れは幼き心の傍らに―3−2
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 いくつもの家を通り過ぎると、やがて遠目に、ひとつだけ妙に目立つ建物が見えた。
 ゼーレの建物は木製だ。周囲に森が多いからである。
 枯れ果てたような印象のある他の家々と違い、そこだけ若々しい、つややかな茶色をしていた。おそらくそういう色を塗っているのだろう。
 近づくにつれて、看板が見えてくる。
 その看板の色を見て、アリムはぎょっと立ち止まった。
 赤い。
 それはもう見事なまでに真っ赤な色の看板だ。文字まではまだ見えないが。
 遠くからうかがうような気分でその赤い色を見つめて、アリムはようやく実感した。ここは本当に、協会とは関係ないのだ。
 精霊保護協会は、赤を嫌う。
 それは“妖精ハイマ”を示す色とされていた。
 精霊学を学ぶために協会によく出入りしていた身として、何となく赤い色を避ける癖がアリムにもあった。何とか再び歩き出しても、つい歩みが遅くなる。
 そしてようやく入り口に手が届きそうな位置にまでたどりついたとき――

 ドバキャッ!!

 派手に板を打ち抜く音とともに、目の前を物凄い勢いで何かが通り過ぎた。
 目的の店の内側から、ドアごと吹き飛んだ何か―それも複数は、道を挟んで向かいの家に突っ込んだ。
 アリムは呆然と立ち尽くした。恐ろしい音が何度か聞こえていたはずだが、耳を塞ぐような間もなかった。
 続いたのは人間の怒声。
「――っつこいンだよアンタたち! いい加減懲りなっっっ!!!」
 ドアがぶち抜かれた音よりも、何かが向かいの空き家に突っ込んだ音よりも、もっと危険を感じる声だった。
 アリムは思わず一歩退いた。そんな彼の前に、店内からドア口まで姿を現したのは――
 店の看板にふさわしい真っ赤な服を着た、派手な女性。
 その紅唇が開き、世にも恐ろしい罵声を紡ぎだす。
「何度痛い目見りゃァ気が済むのサ! 邪魔なンだよ、さっさとどっかへ消えちまいな! 明日のお天とさんが拝めなくなってもいいのかい!! それとも今ここで、アンタたちを男でなくしてやろうかっ!」
 カッ! と彼女は足を踏み鳴らす。鋭いその音に導かれるように視線を落とすと――女性の履物が見えた。
 見たことのない靴。かかとが高い。とがっている。
 ひいとアリムは縮み上がった。意味は完全に分からなくとも、本能的に“危険だ”と訴えている自分がいる。どうしよう。逃げ出すべきだろうか。
 と――ふいに、もうひとつの声が聞こえてきた。
 店の中、ずっと奥から少しくぐもって。
「何を偉そうに。人にやらせておきながら……」
 ひどく気だるそうな声。今にも欠伸しそうな声と言ってもいい。
 女性は振り向かず、両手を腰に当てた姿勢のまま、店内に声を返す。
「アンタはうちの従業員だろ。店主の言うことは聞きな」
「大した金も払ってないくせして……」
「アあ? 体質のせいでろくな働き口が見つからないアンタを拾ってやってンのは誰だと思ってンだい」
「ふうん。俺の連れ目当てでは、決してないと言うんだな」
「それとこれとは別の話サ」
「……。まあ、とどめをさすぐらいは自分でやってくれ。面倒くさい」
「冗談言うンじゃないよ」
 初めて、女性は店内に振り返った。眉をひそめて、「この大切なハイヒール! いくらかかったと思ってンのサ?」
「このとことん土地条件の悪い歩きづらい場所に店構えてるくせにンな靴買ってきやがったところからして、そーゆー男どもに制裁を加えるためだと俺は信じていたんだが」
「ふン。これだから女心を分からない男ってヤツは」
「だから偉そうに言うなこの横暴女が」
「よく言うよ、だいたいこのバカどもの狙いはアンタでもあるンだろうに――」
 赤い女性の視線が、店内から外へと戻ってくる。
 うめき声がして、アリムは初めて店の向かい側の家を見た。そして今さらながらに仰天した。
 崩れた家の残骸からのっそり起き上がってきたのは――人間たちだ。三人の男。厚着しているはずの服もぼろぼろになり、血を流している。アリムの背筋に、ぞっと冷や汗が吹き出た。
「くそ……っ」
 男たちはおどろおどろしい目つきでドア口の女性をにらみつける。女性のほうはフンと鼻を鳴らしただけ。
 その女性の脇を――
 店内から発生した、凄まじい風の渦がかけぬけた。
「―――!」
 アリムは頭をかばってしゃがみこんだ。小柄な自分が吹き飛んでしまいそうなほどの風圧だった。その渦が、立ち上がったばかりだった男たちを今度こそ吹き飛ばす――家の残骸ごと。
 ああ面倒くさい、とやはり眠たそうな声がぽつりと聞こえた。
「フロリデ。特別料金」
「イヤだね。このドアの修理どうしてくれンだい」
「……ぶっ飛ばせって言ったのはあんただろうが」
「ふざけンじゃないよ! ドアがない店なんてかっこがつきゃしない!!」
 非常に理不尽なことで、彼女は怒っているようだった。そして、
「ねェ坊や。そう思うだろ?」
 ――それが自分にかけられた言葉だと気づくのに、かなりの時間が要った。
 しゃがみこんだままようやくアリムが顔を上げると、いつの間にかアリムを見下ろしていた女性がにっこりと笑った。唇の下のほくろが似合う、たいそうな美人だった。
「坊や、うちに用なンだろ?」
「え、ええと、」
 アリムはすぐにうなずけなかった。そんな少年の様子を見て、女性は店内に怒声を放つ。
「ほらごらん! アンタがドア壊したおかげでお客サンが店に入りづらそうにしてるじゃないか!」
 ……別にドアがないせいじゃないんだけれど。

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