其れは幼き心の傍らに―3−9
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 かつて、母にたずねたことがあった。
『どうしてぼくたちは、もりにすんでいるの?』
 それは母につれられて、初めて“街”に出たときのこと。
 外にはたくさんの人間がいると話には聞いていたけれど、じっさい目にしてみるとそれは信じられない光景だった。木々にさえぎられず開けた場所。惜しげもなく降り注ぐ太陽の光。まぶしいほどの世界。
 そこで生きる人々。
 ――なぜみんな、森の中にいないのだろう……と思うのが、本当は自然だったのかもしれない。
 けれど、なぜか分かってしまった。
 奇妙なのは、森の中にいる自分たちのほうなのだ……と。

 母はとても悲しそうな顔で微笑った。
『私たちは……森と精霊が、大好きだからよ』

 その言葉が、今でも心に残っている。なぜかとても切ない痛みとともに。

     *****

「……そんな顔するな」
 目を覚ましたアリムを見て、亜麻色の髪の青年が困ったように微笑わらった。
「………」
 アリムはぼんやりと、上から自分の顔をのぞきこんでいる彼を見つめた。そんな顔。自分はいったいどんな顔をしているのだろう。きっとひどい顔をしているんだろう。夢のせい。そう、夢のせいだ――
「お母さん……」
 その言葉は、何より自然に口をついて出た。
 目の前の青年は、黙ってその手を額に乗せてくれた。冬のせいか、少し冷えた手がとてもやさしい。
 青年の顔の向こうに空が見えた。
 雨がやんでいる――
「悪かったなー」
 アリムの意識がはっきりしてきたのを察したのか、亜麻色の髪の彼はにっと笑った。
「うちの相棒が役立たずで。いやもう、いくら火精が苦手でも一発でやられてりゃ世話ないよな。いやはやもーしわけない」
「……いっぺん殺すぞお前」
 押し殺したような声は少し離れたところから聞こえた。
 緩慢に横を向くと、なだらかな坂になった地面にごろりと横になって、本をめくっている緑の髪の青年の姿があった。
 彼を見て、アリムはようやく気づいた。自分は今、小高い丘のようなところに寝かされているらしい。
 トリバーは視線こそ本に集中しているようだったが、口はもっぱらこちらに向いていた。
「だいたいアーク、お前がはなっからそいつを迎えに出てりゃあんなことにはならなかったんだろうよ。俺だって本を濡らさずにすんだんだ、くそっ」
「俺はダメなの。だって分かりにくいし」
「あーあー勝手に言ってろ自称透明人間」
 言って、トリバーはため息をついた。
「それにしてもな。お前、自己紹介でもしたらどうだ? アリムに何も言ってないんだろう」
「おお! そうだったそうだった」
 ポン、と軽く手を打つ亜麻色の髪の青年。何だか見ているだけで、心が軽くなるようなしぐさ。
 アリムは体を起こそうとした。大丈夫か? と支える手を遠慮して重い上体を何とか起こしきると、目の前の青年と目があった。
 瞬間、よみがえったものがあった。
 理由の分からない高揚感――
 青年がにっこりと笑う。どこまでも穏やかな琥珀色の瞳……
「俺はアーク。ちょっと精霊に関わる仕事してるもんで、たまたまお前んとこの森に忍びこんでたんだ。で、あっちがトリバーな。一に読書二に読書、三四が読書で五も読書の本の化けモンだから、くれぐれもやつの前で本を乱暴に扱わないよーに」
「だれが本の化けモンだ!」
 怒りをこめて石が飛ぶ。アークはそれをひょいと避けて、けけけと楽しそうに笑った。
「アーク、さん……」
 アリムはその笑顔を見つめる。
 やっと会えた。
 命の、恩人。会わなくてはいけないと、なぜか確信した人――
「お前、何とか元気そうだな」
 アリムの様子をうかがって、アークは微笑む。
「大丈夫だとは思ってたけど。……精霊に感謝しろよ?」
 どくん
「せ……精霊に……」
 ――精霊に感謝する?
 なぜだろう、胸が苦しい――
「運がよかったな」
 とトリバーが続ける。「俺たちを助けてくれたのは火精だ。……あんな雨の中に火精がいたなんて、奇跡に等しいぞ」
 それを聞いて、アークは不思議そうにトリバーを見やる。
 その視線に気づいたか、トリバーが「何だ?」と不愉快そうに、初めて顔をこちらに向けた。
「……何だ。お前、気づいてなかったんだ?」
 とアークが苦笑した。「奇跡なんてもんじゃない。あの火精は、アリムの連れだ」
 ―――!
「ぼくの……!?」
 どくん、どくんと大きく心臓が波打つのを感じる。
「アリムの? ああ」
 何かを思い出したかのように、トリバーが虚空を見た。
「なるほど……どうりでそいつと出会ってから、体がむずがゆいと思った」
 今はおさまったしな・・・・・・・・・、と独り言のようにぼやく彼の言葉が追いうちだった。
 違う、と心が否定しようとする。
 そんなのは、違う――!
「ぼ――ぼくは、精霊なんか、つれて……ない!」
 自分でも驚くほどの声で。驚くほどの力でアークにつかみかかり、必死で訴えた。
 違う。認めない。精霊なんかつれてない。精霊なんか最初からいない――!
 青年の驚いたような気配はほんの一瞬……
 そして、
「……アリム」
 アークはそっと、自分につかみかかる少年の手をとった。
 出会ってからずっと……いつだって微笑むようにしていた琥珀色の瞳が、真剣にアリムをとらえた。
「否定するな。お前が否定したら、その精霊は存在した意味もなくなる」
 だって、ぼくは精霊なんかつれていない――!
 まるで跳ね返るかのような衝動。もはや言葉にできているかも分からなかった。激情のままもう一度つかみかかり、青年の体を揺さぶってみても、琥珀色の瞳に宿る光は変わらない。
「……お前、お守りを持っていたろう?」
 青年は囁く。
「赤い石の。今も、持っているだろ」
 出してみろ――
「―――」
 怖かった。体が動かなかった。
 胸元の……心臓の上にあるはずの、母からもらったお守りを見るのが恐ろしかった。
「……出してみろ」
 くりかえされる言葉。
 やさしく、しかし強く。
 ――否定するなと。

「精霊なんか……精霊なんか、つれて、な……い」
 アリムは両手で顔をおおった。
 雨上がりの、湿っぽい風が吹いた。
 それはまるで寄り添おうとするように、肌に触れて――

 残酷だな、と緑の髪の青年が小さく、小さく呟いたのがなぜか聞こえた。

『感じることを、忘れないで――』
 ずっとずっと守り続けてきた母の言いつけが、とても痛く。
 けれど震える手は導かれた。
 ――胸元から取り出し、手のひらに乗せて見た透明な小瓶。
 その中にあったはずのお守り――

 こなごなに砕けた……赤い石。

「う……わああああああっ!!」
 首にかけていた鎖を引きちぎり、少年は天に向かって咆えた。
 それは慟哭どうこくに似た衝動。
 けれど涙が流れることはなく、

 ――熱さの中では、涙が乾いてしまうから――
 そう訴えて、自分が引きとめようとした存在は何だった?
 何も見えはしなかったのに。

「精霊なんか……精霊なんかっ……」
 頭を抱えてわめく少年を、そっと胸に抱え込んだ腕があった。
「それでもな、アリム……」
 腕の中で震えるままの少年に。
 届いているのか分からないまま、それでも彼は。
「精霊は、笑っていたよ。最後にお前に向かって……」
 ――抱きしめてくれた、その腕が震えていた。

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