| 【うたごえ】 〜3〜
「私のお父さんもね――」 もう一度こちらの前まで戻ってきて、少女は優しい声で続けた。 「私の歌を『上手だ』とは言ってくれた。だけどね、近くに住んでる女の子に歌の好きな子がいてね、その子のことはもっと褒めてたの。『あの子の歌は最高だ』って」 私は――と、少し声をひそめるようにして、 「実はその子の歌、下手だって思ってて。何であの子が私より褒められるのーって、ずっと不満に思ってて。ある日ついそれをお父さんに言っちゃった」 たくさん怒られました。 少女は屈託のない笑顔で、そう言った。 「『あの子をよく見ろ! あんなに楽しそうに歌っているだろう!』って。それで私も、その子の歌い方をもっとよく見るようになった。そしたら分かったの――歌ってて楽しいって気持ちを、あの子全身で表してた。声、だけじゃなくて……」 碧い瞳がこちらを見て、反応をうかがうような光をおびる。 カミルはうなずいた。 嬉しそうに、言葉が続いた。 「だからね、私はやっぱり悔しくなったのよ! 私だって歌ってて楽しい! 楽しいって気持ちでは絶対負けないから……!」 両手を広げて、空に向かって声を放ち―― 「それからは、その子に負けないように……歌ってきたんだ」 それはまるで、夜空に囁くような響きの声。 「お父さんも、ようやく『お前も分かってきたな』って、言ってくれたんだよ……」 「当然ですよ」 カミルは微笑んだ。「私にさえ分かりましたから……あなたが、歌を好きなことが」 「ほんと?」 「本当です」 |
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えへへ、と少女は照れ笑った。そして、人差し指を立てて片目をつぶる。 「じゃあさ、お兄さんの大好きなその人は、歌うの好きかなあ?」 「大好きでしょうね」 即答した。ごく自然に。 あの女は……自分の好きなものを好きだと表現することを、当たり前のようにできる女だから。 うんうん、と少女はうなずく。そして、言った。 「お兄さんは、ごーかくだねっ」 ご褒美に歌ってあげる――と。 始まる旋律は甘い響き。 空に、景色に広げるための声ではなく、誰かに届けたい気持ち。 恋の歌だ―― 胸がつまるような気がするのは、少女の情感ゆえだろうか。 おそらく……それだけではない。 (――他人の気持ちさえ、歌えるのか……この子は) 冗談のようなことを思いつき、けれど多分そうなのだろうとカミルは認めた。本当かどうかは関係ない。自分がそう思うからそれでいいのだろう。 余韻が闇にまぎれ、青年の心の中に消えたとき、その言葉は自然と紡がれていた。 「ありがとう……」 少女は、華やかに笑った。 彼女の世界は、美しい音で埋めつくされているに違いないと彼は思う。 ただ、ひとつだけ気がかりなのは…… 「お父さんは?」 |
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――伝染病だという父の傍に、いたはずの娘。 しかしこの娘には、多少色白で痩せてはいても、病の気配はない。 「うん」 少女はうなずいた。「これから帰る。お父さんの傍に」 「そうですか」 安心してうなずき返そうとして――ふと、少女の視線に気づき、カミルは顔をくもらせた。 星の光のように輝いていた碧い瞳が、たしかにかげっている。 寂しそうに。 「もうお別れだね。もっといたかったな」 「――あなたの家に行きますよ。私の仲間もつれて」 「だめだよ、伝染病なんだから」 来ちゃだめ――繰り返す少女の声は、却って寂しさにあふれていた。苦しそうなほどに。 「ありがと、ね。私……もう長い間、人に歌、聴いてもらって、なかったから……」 褒めてくれて嬉しかった。 そして少女は小さく、手を振る。 ――さよなら。 「―――」 あれほど心惹かれる声で告げられた言葉は、あまりに悲しいもので。 たっと身を翻し、逃げるように去っていく後姿に、思わず青年は叫んだ。 「また会えるはずだ――どうして!」 自分の言葉の滑稽さも、もはやどうでもいい。十も歳は下に違いなく、お互い名前さえ名乗らなかった相手に。 後姿は足を止めなかった。 小さかったその影が、やがて闇にまぎれて消えた。 「………」 やるせない思いが心に残る。少女の歌声の余韻のように深く染み渡り、消えない何か。 青年は空を仰いだ。 静か過ぎる星の輝きに、少女の屈託ない笑顔が重なって見えた。 |