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クチナシって言うの、とユアは言った。 「――あの子の毛色、くちなし色……だから。クチナシって呼んでるの。似合わないねってみんな言うけど」 「きれいな毛色なんだな」 彼女の隣を歩きながら、シグリィは独り言に近い声音で呟いた。 くちなし色と言えば、うすい橙色のような、黄色のような――とにかくそんなような色のはずだ。 「クチナシはね、私のたったひとりの兄弟なの。私には弟がいたんだけど……赤ん坊のときに、死んじゃったから」 ぽつ、ぽつと少女は語り続ける。 彼らが出会ってすでに数時間。ようやく彼女はシグリィに打ち解け始めていた。 「弟が一年前に死んじゃって――私泣いてばかりで。私を慰めるために、近所の人が生まれたばかりの小猫……くれたの」 それがクチナシ、と少女は呟く。 その横顔を、シグリィは黙って見つめた。 ――彼らは今、ユアの飼い猫“クチナシ”を見つけるために、村中を歩き回っているところだった。 昨日の朝からいなくなったというクチナシ。その捜索は、主に村人に話を聞くことで進められた。というのも、クチナシはひどく暴れん坊で村でも評判だったらしいのだ。村の誰に聞いても通じるのである。 昨日今日、クチナシの姿を見た――という人間ならば、少なからずいた。 けれど、それをたどってみても途中で途切れてしまうのである。クチナシの足跡が―― 「見つかるかなあ……」 弱気な声をこぼしながら、ユアがあの猫のお守りを目線に持ち上げてため息をつく。 村のほとんどを回ってみても見つからなかった今―― 彼らは村はずれに向かおうとしていた。 二人並んで歩く村。のどかな風景が両脇に広がっている。 人間が少ないせいもあるのかどうか。この村では、時間がゆったりと流れているような気がした。村中で見られた猫たちも、大半は座り込んでひなたぼっこだ。 大陸でも南南東に位置するこの村は、きわめて自然が豊富である。おまけに海も近い。気候も温暖で、実りも多いだろう、猫にとってはさぞかし居心地がいいに違いない。 何も見落とさないよう周囲を目をやっていたシグリィは、ふと口を開いた。 「……この辺りには、猫はいないんだな」 「あ、うん」 ユアはこくりと頷いた。「ここら辺ではご飯があまり見つからないだろうから。猫って賢いもの」 「ご飯が見つからない?」 「……猫にご飯をあげる人がいなくて」 この先に住んでる人も――とユアは進行方向を指差す。 「猫、あんまり好きじゃないみたいなの。お昼時には村でお店やってる人なんだけど、前は魚とか扱ってたから――うちのクチナシとかも、散々迷惑かけちゃって」 「ああ」 「……教えてくれないだろうなあ……」 視線の先に見えてきたこじんまりとした家。それを見つめて、ユアは寂しそうに言った。 クチナシのことを知ってても―― 「これで最後なんだから」 シグリィは軽い調子でそう言った。「そのお守りがある。大丈夫」 ユアは彼の横顔をふと見つめて―― それから、ふふっと笑った。 「変なの。お守りの効力、信じてなきゃいけないのは私のほうなのに」 「でも、効力があるんだろう?」 「ん……。でもこれは、本当は――」 言いかけながら、少女は小さなお守りをきゅっと片手で握りしめた。と、 ちょうど目指す家から、中年の男がぶらりと出てくるのが見えた。 水汲みに出てきたらしい、桶を持っていた男は――ふと少年少女の姿を見つけ、ぎょっと立ち止まった。 「あ、ジオリさんっ」 慌ててユアが声をかける。「すみません、ちょっとお聞きしたいことが――!」 「わしは忙しいんだ!」 開口一番、男はがらがら声を放ってきた。彼に駆け寄ろうとしていたユアは、ひるんで立ち止まった。 「で、でも……」 「邪魔だ邪魔だ! お前なんぞとしゃべっている時間はない!」 「ジオリさん……!」 せっぱつまったか、ユアはジオリから少し離れたその位置のまま声を上げた。 「うちの子見ませんでしたか……! クチナシがいなくなっちゃったんです!」 「――あんなドラネコのことなんか、知らん!」 ジオリはつばを飛ばしそうな勢いで怒鳴り返してきた。 「………」 ユアの顔が泣きそうにゆがんだ。ジオリの言葉を信じたのだろう。 だがシグリィは、男の行動の不自然さに気がついていた。自分たちの姿を見たときに見せたぎょっとした態度、知らないと否定する直前のわずかな間…… ジオリは背中を向けて行ってしまおうとする。 その後姿に、シグリィは声をかけた。 「嘘をつくと、“きんいろのねこ”から罰を受けますよ」 ぎくりと、男の大きな背中が震える。 意外と気が小さいらしい。 軽い調子のまま、シグリィは続けた。 「このお守りはすごい力があるらしいですね。あなたが嘘をついたから、怒っているみたいだ――鳴きましたよ。聞こえましたか?」 「う――嘘をつくな!」 「嘘じゃありませんよ。ほら」 呆然としているユアの手から小さなお守りを受け取り、ジオリの元まで歩いて行くと、それを男の目の前に突き出す。 ジオリは一歩後退った。汗をたらしてお守りを凝視している。分かりやすい男だ。 二人の間で“きんいろのねこ”が揺れた。 シグリィはたたみかけた。 「どうしてそんなに怯えるんです? やましいことがないなら平気でしょうに。――ああ、まだ鳴いてる。ほら、怒ってますよ――」 囁くように言ったその時、 ――にゃおう…… ジオリが凍りついた。 えっ!? とユアが辺りを見回す。だが、そもそもこの辺りには猫はいないはずなのだ。 ――フーッ 猫が威嚇のために立てる音。 「ほら……聞こえるんでしょう」 シグリィはにやりと笑んだ。彼が持った小さな猫が揺れる。 ジオリは顔面蒼白だった。 目を細めて、かわいそうなまでに分かりやすい男を見返し、 「……これ以上怒らせないために、今のうちに言ったほうがいいんじゃないですか?」 「あ――あの猫なら人にやった!」 ついにジオリは白状した。 「あのドラネコ、またわしの商売の邪魔をしたからな……! 壷につめておいたら欲しがった物好きがいたから、やったんだ!」 「……壷につめて?」 シグリィは呟く。 ユアがぱっと表情を明るくした。ジオリの言葉の内容自体はともかく、無事だと分かったことが嬉しかったのだろう。ぱたぱたとジオリとシグリィの元まで近づいてきて、「それでクチナシは今どこに……!?」と必死なまなざしでジオリを見上げる。 「だから、人にやったと……!」 「誰にあげたんです?」 シグリィは低く訊いた。あげた人間によっては、クチナシの身はユアの希望通りにはならないかもしれない。 「知らん!」 ジオリはぶんぶん首を横に振る。 「知らないってことはないでしょう。この村の人間なら、商売人のあなたはすべて知っていてもおかしくないくらいだ」 「だから、知らん女だ! あれは旅人だ……! 旅人のすべてまで把握してるわけがあるまい!」 「……商人だったら、旅人も把握できて当然だと思うんですがね」 シグリィは呆れた。この村にくる旅人は多くない。商人同士の情報網というものもあり、数少ない旅人のことくらい把握できてしかるべきだった。 ジオリは顔を真っ赤にして反論してくる。 「わしは他の商人どもと馴れ合うのは嫌いだ!」 「……力強く言うことでもないでしょう」 「うるさい!」 「まあ、こんな所に住んでいるんですからね。それはいいとしても――」 旅人か、とシグリィは呟いた。 今現在、この村に滞在している旅人と言えば―― 「あの……シグリィ、分かる?」 とユアが不安そうに彼を見る。 「とりあえず、宿に私たち以外の旅人の姿はなかったな」 この村に“宿屋”という設備はない。ただ村の空き部屋を借りているだけなのだ。その了承を得る際、「旅人なんて久しぶりだねえ」と村人のひとりが言ったのを彼は覚えている。 と言うことは。 「……ああ、まあ、想像がつくな……」 おそらく 「……今ごろ宿でケンカかな」 「え?」 「とりあえず、クチナシは無事君の所に帰ると思うよ」 シグリィはユアに微笑みかけた。 ひょっとしたら、この結果こそがお守りの効力なのかもしれない。 ユアが今度こそ嬉しそうに、こくりと頷いた。 ずっとジオリに突きつけていたお守りを下ろすと、中年男は真っ青のままシグリィたちから離れた。 「くそっ……お守りの効力なんか、わしは信じていなかったぞ! 化け物!」 吐き捨てるように言って、それから逃げるように姿を消す。やれやれ、とシグリィは腰に手を当ててそれを見送った。 「ねえ……さっきの、幻聴?」 「ん? いいや」 思い出して不安そうに言うユアに、シグリィは少し離れた場所の草むらを示した。 「?」 少女がそちらに目をやって――あっと声を上げた。 草むらから、ひょっこりと一匹の猫が顔を出した。 「ここに来る途中にいたんでね。ちょっと、手伝ってもらったんだ」 お守りをユアに返してから、その猫に歩み寄りかかんで頭を撫でる。 雑種の猫は、シグリィの手に鼻っ面をおしつけ何度も頭をこすりつけてきた。 「手伝って……?」 「“青龍”の力には、動物と心を通わすっていうのがあるんだよ」 いたずらっぽく言って、シグリィは自分の首筋をとんとんと叩いた。 襟で隠れていて何も見えなかったが、ユアには伝わったようだ。 「そっか……シグリィって青龍だったんだ」 言いながら彼女も歩いてきて、かがんでシグリィにじゃれつく猫を眺める。 「ねえ、動物の心が分かるなら……動物に聞けば、クチナシの居場所すぐに分かったのかな?」 「あいにく、こっちが動物の心を分かるってわけじゃあないんだ」 シグリィは苦笑した。「ただ、動物のほうにこちらの願いを聞いてもらうってだけでね。――さて」 ひとしきり撫でてやった後、シグリィは立ち上がり、ユアに向かってにっこりと微笑んだ。 「クチナシを迎えに行こうか」 |