人は人生の中で何度、真剣に迷い、悩むのだろう。 選択肢はたった二つ。けれどその回答にかけるものが大きければ大きいほど、答を出すことに時間がかかり、力がこもる。 彼女は真剣だった。 まさしく真剣だった。 その横顔には、人生のターニングポイントにいる人間のごとくの険しさがある。緊張感がある。その美麗な顔は真剣な表情をすればなお美しく、いっそ神秘的でさえある。 ……彼女は、真剣だった。 赤か、黄色か―― やがて。 彼女の中に、何か閃光が走ったらしい。その碧い瞳に決然とした光をのせて、彼女はくっと顔を上げた。目の前にいる若い女性に向かって、声高に告げる―― 「赤い方、ください!」 そして彼女の手に、それは渡された。 赤い、赤い――リボン。 それを見下ろし、とても満足そうに彼女はうなずいた。そして、満面の笑みで振り向いた。 「決まりました……! シグリィ様、これで行きましょう!」 その笑顔を目の当たりにして、少年はあいまいにうなずいた。 真紅のリボンを手にした女の瞳は、らんらんと輝いている。まさに生きている人間の輝きだ―― ……だが。それはそうとして。 「それで……。何でそれを、私がつけなくちゃならないんだ? セレン」 心の底から疑問に思って尋ねた少年に、女は胸を張って即答してきた。 「決まってます! 絶対似合うからですっ」 ――だから、そもそも、何で私にリボン? |
| 旅先での自由行動時間には、商店に出向くのがお決まり。 シグリィ、カミル、セレンの三人全員にそれは共通していた。シグリィこそまだ十代半ばに足りない若さだったが、あとの二人はすでに二十代の大人である――常に一緒に行動するわけではない。町や村についたらまず宿を決めて、落ち着けばすぐに解散するのが彼らのパターンだった。 その際、商店街でばったり出くわすこともしばしばある。 シグリィの経験では、特にセレンと顔を合わすことが多かった。おそらく彼女は商店にいる時間がカミルよりも長いからだろう。何より、 彼女はやたら目立つ。 そもそもが、華やかな美女であるからして人の目をひくというのもあるし―― なぜか、行動も目立つ。 カミルにいわく「おかげでいざというとき見つけやすくて助かっていますよ」――そう話すときの青年のひきつった微笑は、まああまり気にすることではない。おそらく。 とにかくそんな彼女であるからして、街中で見つけようとするとすぐ見つかる。 避けようと思えば避けられた。 けれど、シグリィとしては避ける理由がなかった。 だから、普通に顔を突き合わせては彼女の買い物に巻き込まれるのだ。毎度毎度――そして少年は、それを楽しんでいた。買い物をしているときのセレンは、無条件に輝かしかったから。 たった二本のリボンから一本を選ぶのにさえこれほど真剣になる、そんな彼女が微笑ましかったから。 とは言え…… 「……これをつけるのか?」 相当な時間悩んだ末にセレンが買ったリボンを手にして、シグリィはそれをしげしげと眺めた。高級な絹のリボンである。何とも言えない手触りのよさ――間違いなく本物のシルクだ。この地方では大変珍しい。じっさい、この色はこれが最後の一本であったらしい。 横でセレンがにこにこと嬉しそうに立っている。 「そうです。私が結んであげますよ〜」 「髪の毛に?」 「はい!」 「そういうのは普通女性がしないか?」 「何を言っているんですかっ!」 セレンは店内に響きそうな声をあげた。拳をかためて、 「そこらへんの女なんかより、シグリィ様のほうがよっぽど綺麗なんだからいいんですっ!!」 そうですよね――? と彼女が問う相手は、なぜかこの店の店員の女性。小柄なその店員は、のほほんと答える。 「そうですねぇ〜」 「……綺麗だったら男もつけていいものなのか?」 「似合うんだったらいいんです! そうですよね!」 「そうですねぇ〜」 「今までつけたことがないのにどうして似合うと分かるんだ?」 「シグリィ様に似合わないはずがありませんっっっ! そうですよね!?」 「そうですねぇ〜」 「………」 らんらんと輝くセレンの碧い瞳と、にこにこにこと笑っている奇妙な店員の瞳に見つめられて―― ――よく分からん、とシグリィは思った。 そもそもセレンの理屈が、彼に理解できることはほとんどないのだが。 とりあえず分かっていることと言えば…… 「………」 彼は改めて、自分が握った赤いリボンを見下ろした。 これを自分がつける―― 「……面白そうだな」 こぼれるように、本音がもれた。とたんにセレンの目が光った。 「でしょう!? じゃ、つけましょうつけましょう〜〜〜〜っ!!」 まあそんなわけで…… |
| セレンという女は、他人の髪をいじるのが好きである。 否、髪だけでなく服装をいじるのが大好きなのだ。ゆえに彼女自身はもちろんシグリィの服装に関しても、主に彼女が決定していた。 「ふふ〜♪ いつか絶対やってみたかったんですよ〜♪♪」 さらさらと少年の黒髪にしなやかな指をくぐらせながら、セレンは鼻歌でも歌いそうな調子でそんなことを言う。 ふうん、とおとなしくされるがままになりながら、シグリィは気のない返事をした。 リボンを買った店の片隅。鏡の中に映る自分自分が、今まさに赤いリボンを結ばれようとしている。 鏡には、後ろに立つ女の軽やかな指の動きが惜しげもなく映されていた。 ――なぜか少し離れたところであの店員が、のほほんとこちらを眺めているのが見える。 「私とおそろいですよっ♪」 「おそろい?」 「私、同じ絹の紫色のを買いましたから〜」 「………」 「私も髪に結んで、カミルに見せつけてやるんだから! シグリィ様とおそろい〜って」 「……見せつけてどうするんだ?」 「カミル、羨ましがりますよう〜」 ――どうしてカミルが羨ましがるんだ? 素朴にそう思ったが、訊いたところで無駄だろう。 セレンは基本的に頭のいい女だったが、時々――いやしばしば――その思考がはちゃめちゃだった。 だがまあ…… 「――たしかに、面白いかもな。カミルに見せるのは……」 「そうでしょう!?」 「ああ」 シグリィはうなずいた。「で、お前はカミルにどんな罰を受けるんだろうな?」 う、とセレンの動きが止まった。背後に引きつった女の気配を感じて、シグリィはくすくすと笑う。 「――冗談だ。私も共犯だから」 「んもう、シャレにならないですよう」 セレンはぷっとふくれた。 ――リボンをつけたシグリィの姿を見て、かの青年が激怒するだろうことは間違いなかった。シグリィを主人と呼ぶカミルは、セレンがシグリィで"遊ぶ"ことをよしとしない。実際そのために、セレンは今まで何度も罰をくらってきたのだ。 だが、シグリィがかばえばさしもの青年も何もできない。 そもそもシグリィが、黙ってセレンに"遊ばれて"いるわけがないのだから――ほとんどの場合、シグリィ自身がただ面白がっていることを、カミルが勝手に怒っているのだ。 青年に言わせれば、「変なことを教えるな!」ということらしいが…… ――すっかり慣れた女の指先が、髪の毛に触れている微妙な感覚。くすぐったさにも似たそれにしばらく身をゆだねる時間。 セレンは何度も結び方に試行錯誤したらしい。けっこうな時間が経ったあと、 「――でーきたっ」 声をはずませて、セレンがぽんと少年の両肩を叩いた。 「ほらシグリィ様。やっぱり似合う!」 「………」 シグリィは、鏡の中の自分を見つめた。 短い彼の黒髪ではリボンを結ぶにも限界があったのだろう、ただ蝶結びにされたリボンが右側の髪にちょこんと乗っかっているような、そんな感じだった。 赤いリボンの蝶で髪を飾られている――そんな自分が、目の前に立っている。 シグリィは心の中で思った。 ――たしかに、違和感がない。 「あ〜んシグリィ様かわいい〜〜〜」 感極まったかどうか、後ろからセレンが抱きついてきた。 彼女は前々からシグリィを男性扱いしていないようなところがあった。まあ彼はまだ十三歳なのだから、仕方ないだろうが――それにしたって、 (……かわいいと言われてどうするんだろうな?) と彼は思った。 真剣に思った。 世の少年たちは、セレンのような女に"かわいい"と言われてどうするのだろうか。真剣に、それを知りたいと思った。なぜなら、自分にはどうしていいか分からなかったのだ。 かわいいと言われたことを嫌だとは思わない。 ――嫌なこと、なのだろうか? 常識では。 セレンは喜んでいるらしい。ならそれでいいと思う。 ――怒らなくてはならないのか? カミルのように。 「……よく分からないな」 ぽつりと呟いて、シグリィはため息をついた。 「え?」 聞こえたらしい、きょとんとした表情で、セレンが抱きついていた体を離した。 「ん。――いや」 シグリィは振り向いて、鏡の中ではないセレン本人を見やる。 「お前は、どうするんだ? 自分のリボン。ここで結んでいくのか」 「あ、うーんと」 セレンは自分の手首を見つめて、困ったように眉根を寄せた。 手首に軽く結んである紫色の布が、どうやらそのリボンであるらしい。シグリィがこの店で彼女を見つけたときにはもうしていたので、てっきり手首に結ぶのが彼女流のオシャレなのかと彼は思っていたのだが。 彼女は、自分の髪を整えることだけは苦手である。 ヘアスタイルにはそれなりにうるさいくせに、自分でやろうとはしないのだ。他人の髪でやるのとは勝手が違ってうまくいかず、イライラするのがその理由らしい。シグリィやカミルと出会ったばかりのころは、仕方なく髪を無造作に結んでいた――面倒くさくて切ろうとさえしていたようだ。 幸いにして、今は旅のパートナーが彼女の髪型の望みを実現させてくれるために、彼女は日々満足そうにおしゃれにはげむのだが。 「……カミルに、やってもらおうかなあ……」 紫色の絹布を見て、セレンはぽつりと呟く。「シグリィ様とおそろいにして〜! って言ったら、怒りますよねえ? 彼」 「たぶんな」 「じゃあそうしよう♪」 「………」 ……やっぱりよく分からない。 よく分からないが、こういったセレンの言動は珍しいことではなく―― それで案の定けんかを始める二人をただ眺めているシグリィは、それを不安に感じることがなかった。 彼の中で、すでに二人はそうあることが自然なのだ――理屈など関係なく。 だから、分からなくてもいい。 彼は微笑んだ。 「きっと似合うよ。お前も」 セレンが、驚いたような顔をして――それからふふっと嬉しそうに顔をほころばせた。 きっと似合うに違いなかった。 なぜなら、この目の前の女の髪に触れるとき――かの青年が、決していい加減なことをするはずがないのだから。 |