それから、シグリィは買い物を続けるセレンに付き合った。 もちろんリボンを風になびかせたまま。 ――気のせいか、いつもより人々の注目を浴びているような気がしたが、セレンが「成功ですよシグリィ様!」と嬉しそうに親指を立てるので黙っていた。もちろん何がどう成功したのか、彼に理解できているわけがない。 男がリボンをつけているのだから、変な目で見られるのだろうと予想はしていたのだが―― なぜだろう、女性たちが指をさして黄色い声をあげるのは。 なぜだろう、男たちがひそかにこっちを見て頬を赤くしているような気がするのは。 なぜだろう。 まったく分からない。 ただ、それらはすべて――彼には面白いことのように思えた。 「シグリィ様、気に入りました?」 ふとこちらの表情に気づいて、セレンが尋ねてくる。 シグリィは微笑んだまま、そうだな――と言った。 良かった、とセレンは立ち止まり笑った。 そこは公園だった。噴水を囲んで、人々が昼下がりのゆったりとした時間を過ごしていた。 子供がはしゃぐ。噴水の水しぶきが爽やかに跳ねる。傍に寄るだけで、かすかに水の冷たさを感じた。その心地よさを感じて立ちつくすと、ふいに髪のリボンがなびく。――風。 公園内の小鳥たちが誘われたように、いっせいに飛び立った。 目を細めて空を仰ぐ。弧線を描く鳥たちの優美なダンス。 ああなんて気持ちのいい時間―― 「それじゃ、シグリィ様!」 突然の力がこもった声に、少年は我に返った。 きょとんと視線を戻すと、自分が買ったものを腕にさげた女はぐっと拳を握って、再びらんらんとしたあの瞳でシグリィを見つめていた。 「こうなったら、次はもちろん……っ」 「―――?」 彼女が何を言いたいのかをはかりかね、シグリィは首をかしげた。そのとき。 「――あ、いましたよう……!」 聞き覚えのある声が飛んできた。 そして、ドタドタと乱暴な足音が、複数公園に踏み込んできた。 なんだなんだ、と公園にいた人間――もちろんシグリィとセレンも、そちらに注目する。 「お客様……!」 そう声を上げた若い娘は――まぎれもなく、シグリィたちを呼んでいた。 見覚えがある。あののほほんとした店員だ。 二人のところにまでやってくると、足をとめてひと息ついてから、やっぱりあののほほんとした笑顔を浮かべて、 「――すみませんお客様。さきほどの赤いリボンを返していただけますかぁ?」 とのたまった。 「……はあ?」 セレンが不愉快そうに顔をしかめた。「何でよ。ちゃんとお金払ったわよ!」 「はい。そのお金、お返ししますから」 「だから何で……!」 「そのリボンはわたくしが買うべきものですわ……!」 凛とした声があがった。 店員に遅れてこちらにやってきたのは、この場に似つかわしくない屈強の男たち。 その一人が――抱き上げていた少女をそっと地面に下ろした。 自分の足で立った少女は、堂々と二人の前へ進み出てきた。 「そのリボンは、次のパーティにわたくしがつけるべきものです。お返しなさい」 自分と同じ歳か、少し年下か――と、シグリィは思う。幼ささえある少女だ。ずいぶんと仕立てのいい服に身を包んでいる。その登場の仕方といい、今も彼女を守るように周りを固める屈強の男たちといい……つまりは、いいところのお嬢様ということだろうが。 「……このリボンか?」 シグリィは自分の髪を指差した。風に吹かれてひらひらと揺れる赤いリボン。 そうですぅ、と店員が返事をした。 「申し訳ありません〜。それ、最後なものですから……次に入る予定も当分ないんです」 「だったら諦めなさいよ!」 セレンが憤然と声を上げた。「順番は守るべきでしょう!? 私たちが先に買ったのよ……!」 「関係なくってよ! 高価なものは高貴な人間が身に着けてこそ華! それはわたくしのもの!」 小柄なお嬢様はほほほと笑った。 若いのに、なかなか教育されているらしい。 「……いくら珍しいからと言ってもな」 シグリィはぽつりと口にする。「これは、もう私が一度使っていることになる。……おさがりになるぞ?」 ……… ――空気が冷えた。 お嬢様はたしかにひるんでいた。たっぷり数秒ののち、 「――わたくしはそのような心の狭いことは言いませんことよ!」 笑い声が裏返っていた。動揺があふれている。 ひょっとしたら本当にそういうことを考えなかったのか。だとすれば、やはりこのお嬢様は幼いということだろう。プライドの高い少女が、"最後の一本"を手に入れるためにそのプライドを使い、もうひとつのプライドを捨てる――考えてみると変な話ではあるが。 まあ、プライドとはそんなものかもしれない。 「心が狭くない、ねえ」 しらけた顔で見るセレンの視線に耐え切れなくなったか。 少女は顔を真っ赤にして、周りの屈強な男たちに向かい声を張り上げた。 「お前たち! お前たちもあれは私が持つべきものだと思うでしょう!? 言いなさい!!」 「はい、お嬢様! それはお嬢様が一番お似合いです!」 見事な合唱が起こった。六人ほどの男たちが、全員――ぴったりと息を合わせて、まったく同じセリフを口にした―― シグリィは思わず拍手したくなった。 ただし彼以外の人間は――時間が止まった。 やがて魔法がとけると、公園にいたほかの人間たちが逃げるように……公園から出て行った。 ――彼らだけとなった、寂しい公園で、 聞きましたわね、と小さなお嬢様が胸を張った。 「さあ、納得したでしょう。そのリボンをお返しなさい」 「納得できるわけないでしょーが!」 「まあ! さすが下民は理解力がありませんことね……! いいですわ、お前たち、もう一度お言い!」 「はい、お嬢様! それはお嬢様が――」 「あ〜〜〜うるさいうるさいうるさいっ!!」 わめいて、セレンが合唱をとめた。シグリィは眉をひそめてセレンを見た。 「何で止めるんだ。面白いのに」 「シグリィ様ぁ!」 「あまり聞けるものじゃないぞ?」 「そういう問題じゃありませんー!」 碧い瞳の女は顔を真っ赤にして、怒鳴ってきた。「分かってるんですか!? このちびっこお嬢様はそのリボンを奪いにきてるんですよー!!」 「なら、渡せばいいじゃないか」 「あ、ひどい!」 セレンは地団駄を踏んだ。「ダメですよう! それはカミルに見せるまで、ぜーったいはずしちゃいけないんです!!」 ああそうか、とシグリィは納得した。 ――ここで納得したことについて、カミルが聞いたなら……おそらくかの青年は涙ながらに「まっとうな道に戻ってくださいシグリィ様……っ」と訴えたに違いなかったが―― 「そうです! それで私とおそろいリボンにするんです……!」 「でもな……。まあリボンなんて、一応男がするものじゃないし。お嬢様に渡すほうがリボンも喜ぶかもしれないぞ?」 「似合う人がするべきなんです! 似合わない人間につけられたら、それこそアクセサリーがかわいそうです……!」 「あー……でも、こちらは女の子なんだから……男の私よりは似合うんじゃないかと思うんだが」 「ああ、もうっ」 シグリィ様の鈍感っ! とセレンは恨めしげにこちらをにらんでくる。 しかし彼のほうこそ、「もっと理解できることを言ってくれ」という心境だった。 彼は争いが好きではなかった。だから、争いを避けるためなら多少の妥協もする。 たしかに今回は、買ってくれたセレンには申し訳ないが――そもそも自分がリボンをしているのは、おかしいのだ。 たぶん。 と、色々考えてから、シグリィはリボンをほどこうと髪に手をやった。 「ダメえっ!!」 セレンがその腕をとめた。 「セレン――」 「ダメですダメですダメですシグリィ様! こんなの理不尽です! 負けちゃいけません……!」 「しかしな――」 「ダメ!」 「………」 この女は頑固だった。思い出し、シグリィは困り果ててため息をつく。 ふと空が視界の端に見えた。 優雅に空を舞っていた小鳥たちは、いまやその影もない。 気がつくとあの店員は、ひとりさっさとその場から退いて、少し離れたところでのほほんとこちらを眺めている。 人がいなくなった公園は静かだ。その静けさをセレンがひとりで壊している。ひとりで…… 「―――?」 ……お嬢様が、口をはさんでこない。 そのことに思い至り、シグリィはようやく幼い少女に視線をやった。 そこで――身なりのいい少女が、硬直していた。 シグリィを凝視したまま。 「……あら?」 シグリィの視線に気づき、セレンが気の抜けた声を上げた。「何なのよ、おじょーさま」 と面白くなさそうにお嬢様をにらむ。 声をかけられて……ようやくお嬢様が、硬直から脱け出した。ぎこちない動きで――シグリィから一歩、二歩と退き、何やら憎悪のまなざしでにらみつけてくる。 「――まさか――」 「?」 「あなた、男ですわね!?」 渾身の叫び。 真剣な叫び。 悲痛な叫び……。 「………」 今度はこちらが黙りこむ番だった。 目の前でお嬢様は、炎が出そうなほどに顔を真っ赤にして、目に涙までためてわめきだした。 「し、信じられませんわ……! 男のくせにリボンだなんて、汚らわしい! 男の恥ですわ! 人類の敵ですわ……!」 「……それは、言いすぎだと思うんだが」 シグリィは顔をしかめてみせる。それから、ふと思い至った。 「……? ということは――」 「さ・て・は、お嬢様〜」 急ににんまりとして、セレンが少女にじりじりと迫り始めた。 「――シグリィ様を、女の子だと思ってたのね?」 「―――」 「てことは、それだけリボンが似合ってたってことよね〜♪ やっぱりこのリボンはシグリィ様のものよ!」 いったいどういう理屈なのか、彼女はそう言って満足げにうなずく。 「………!!!」 幼いお嬢様は真っ赤なまま、必死に顔を振った。否定の意らしい。 ――シグリィは決して女性的な顔をしているわけではなかった。 けれども、それほど男男した顔立ちでもなかった。 背丈もそれほどない。声変わりもしていない。普段女の子に間違われたことは一度もなかったが―― 髪にリボンを結んでいる、ただそれだけの要素が、彼のすべてのイメージを逆転させたらしい。 (こんなこともあるんだな) またひとつ、彼は学んだ。 学んで役に立つ事柄かどうかは、彼にも分からない。 「汚らわしい……!」 幼いお嬢様は憎悪のこもった声音で呟きながら、ぶるりと震える体を自分で抱きしめる。 大げさなまでな反応に、シグリィは呆れた思いで少女を見返した。 「……何かいやな思い出でもあるのか?」 「殿方は常に殿方らしく在れと、わたくしのお兄様がたは教えられて育っていますわ! あなたなどとは違う世界にいらっしゃる素敵なお兄様がたですのよ……!」 「……ふうん?」 「ああ! あなたのような存在はお兄様がたを汚しているようなものですわ!」 「そうなのか」 「だから、だからあなたのような人間は――だから――」 途中で、少女のセリフは止まった。 言葉が見つからなくなったらしい。ぱくぱくと空回りする唇が悲しい。 代わりに今度はセレンがわめきだした。 「シグリィ様! のほほんと聞いている場合じゃありません〜!」 「いや。面白い考え方だなと」 「無茶苦茶な言い分ですよ! 認めちゃいけません……っ!」 ――お前もけっこうな無茶苦茶さだと思うんだが、という言葉はあえて胸にしまい―― ただ、本気で怒っているらしいセレンの碧眼を見上げて、 シグリィはため息をついた。 「――分かった」 と、改めてお嬢様に向き直り、肩をすくめてみせる。 「まあそんなわけで。悪いがこのリボンは諦めてくれないか」 「………っ!」 「他のリボンをさがす手伝いくらいはするから。とりあえずこれは――」 |