「冗談じゃありませんわっっっ!!!」 お嬢様、復活。 びしぃっ! とシグリィを指差し、「そのリボンはわたくしのものです……!」と高らかに宣言する。そして、 「渡さないのなら、力づくですわ……!」 「はい、お嬢様!」 ずっと黙っていた屈強の男たちが、拳をぽきぽきと鳴らした。 それなりに、迫力はあった。 やれやれと疲れた気分で、威圧しようとしてくる男たちを眺めるシグリィの横から、 「いー度胸じゃないの!」 セレンが胸を張った。「この私に立ち向かおうなんて五百年早いわよ……っ! おまけに杖うっかり宿に忘れてきちゃって持ってないから、魔力暴走しちゃって死にかけても知らないから!」 「いやそれはやめろセレン」 「いいんですよ! 頭の固い男の一人や二人!」 「よくないから。あとでカミルの血管が切れるぞ」 う、とセレンはつまった。彼女にとって、パートナーの名前ほど抑止力になるものはなかった。 けれども怒り――あるいはイライラか――が収まらないらしい、だってえとうらめしそうにシグリィに訴える。 「やらせてくださいよう。こーゆーやつらは自分の手でどうにかしたいです〜」 「今は我慢しろ」 杖を持っていないなら――とどうしようもなく魔力の高い女に軽く言い放ちながら、すっと目を細めて。 「……私がやるから」 やっておしまい! と少女の号令がかかった。 一斉に男たちが動いた。 その勢いが空気を動かしわずかな風を生み出す。 ――頭のあたりで、柔らかい絹が揺れる感触がしている。 (……やりにくいな) そんなことを思いながら――彼は軽く身構えた。 赤い絹の蝶が舞った。 ひら ひら ――ほんの、数分間。 やがて蝶が舞うのをやめて、少年の黒髪に落ち着いたころ―― 「―――」 幼いお嬢様は呆然と、その場を見下ろしていた。 六人いた屈強の男たちは皆、地面で意識を手放している。 シグリィ様ステキ! とセレンが黄色い歓声をあげた。 「でも、動きがぎこちなかったですよう。どうしたんですか?」 「ああ。――リボンを汚しちゃいけないかと思って」 頭に手をやり、そこに絹の感触があるのを確かめる。形が崩れていないといいが、などと思いながら、 「……とりあえず、カミルに見せるまでは無事でないといけないんだろう?」 そうですシグリィ様! と満面の笑みでセレンがうなずく。 シグリィは残された少女に向き合った。少女はまだ硬直していた――少し考え込むつもりで半眼で彼女を見つめた彼は、やがてため息をついた。 「……無用心すぎないか」 「な――何がですの」 「こいつらは」 言いながら、自分が地面に沈めた男たちの傍らに片膝をつき、その中のひとりの手首を持ち上げてみせる。 全員素手だった。武器になりそうなものを何一つ持っていない。体つきだけはやたら逞しい連中だったが、おそらく実戦経験は皆無ではあるまいか。 何より。 「――こいつらは、白虎じゃないな」 男の手首を持ったまま、幼い娘を見上げる。 少女は無反応だった。 ……男の手の甲に、白虎の《印》と呼ばれるしるしがないことを、彼女が認めていないはずはない。 この世界の人間ひとりひとりが必ず持っている四神の《印》――その中のひとつ、白虎。 護衛、と名のつく者たちには、必ず白虎をひとり入れておくのが、この世界での常識である。白虎の者はそれだけでも戦闘能力が高い。加えて白虎の《印》は、魔物――この世における人間の最大の敵を退ける効果がある。 白虎の者を連れていない"護衛"というのは、それだけで相当に危険だった。護衛の意味がない。 シグリィはため息をついた。 「白虎がいない上に武器を持っていない。……こいつらは護衛とは呼ばないな。きみのお守りだろう?」 「そっ――」 少女は頬を紅潮させた。その丸い瞳に、みるみる涙が盛り上がっていく―― 「そんなことはっ! 関係ありませんのよ……!」 たたたっと駆けてきた少女は、シグリィに向かって腕を振り上げた。驚いて男の手首を離して立ち上がった彼と男たちとの間に割り込み、男のひとりにすがりつくように――否、おそらく彼女はかばっているつもりなのだろう、覆いかぶさってきっと涙目でシグリィをにらみつけてきた。 「この者たちはわたくしを守ると誓ったのですわ! 能力の有無など関係ありませんのよ……!」 「………」 「主を守ると口にした男たちを、ただのお守りと呼ぶなど侮辱ですわ! あなたのような者には、この者たちには触れさせませんわ……!!」 金切り声で叫ぶ幼い少女。 ふと、男のひとりがかすかに意識を取り戻した。 「お嬢……さ……ま、も、申し訳ございま――」 「お黙り! 謝っている暇があるならさっさと眠って体力を回復なさい! 回復して、今度こそわたくしをお守りなさい……!」 泣きながら少女はばしばしと男の胸元を叩いた。おそらく無意識なのだろう。それでは余計に眠ることができないだろうに――当たり前のようにそう思ったシグリィの目には、しかしどこか愛しそうに少女を見る男自身の姿が映っている。 おじょうさま…… 「お、お前たちが回復するまでは、わたくしがお前たちには触れさせません……! わたくしが!」 ――人の目を気にせず涙を流しながらそう叫び続ける少女の姿を、シグリィはただ見つめていた。 少女が、戦闘経験などほとんどない男たちを勝手に護衛と称して連れまわしているのは間違いなかった。 シグリィに言わせればそれは愚かなことだったし、巻き込まれる男たちが気の毒とさえ思う。だいたい今彼女がわめいているセリフは内容がめちゃくちゃだ。 理解できない。 だが―― 心がひかれる気がするのは、なぜだろう? 言葉をなくした彼の横から、 「……へーえ?」 セレンが、感心したかのような声をあげた。 先ほどまでの怒りようはどこへ行ったのか、どこか面白そうな瞳で少女を見ている。そして彼女は唇の端を微笑みの形にした。 「面白い子ね、あなた」 「ぶ、無礼な……! このわたくしに向かって!」 「褒めてるのよ」 ふわりと、今度は目元を微笑ませて。 ――そんな顔をしたとき、セレンの美しさは花開く。 それを見て――少女の目から、なぜか涙が止まった。 「私もね。一応シグリィ様に"お仕え"してる身だしね。って言ってもそんな固いこと言ってるのはカミルのほうで、私はそんなつもりはないんだけど――っていうことは今はどうでもよくてー」 セレンはその長い黒髪を邪魔そうにさらっと手で払いながら、すたすたと少女のところまで歩いていく。 そして、その前でぴたりと足を止め。 「――けっこう、"従者"の気持ちは分かるつもりなのよ」 優しい目で少女を見下ろす。 「な、何が、言いたいんです……の」 緩む気持ちを無理やり固くしているかのような顔で、お嬢様はセレンをにらみつけた。 「あなたはいいご主人様になるわ」 セレンは言った。 「今はまだ幼いけど。……きっといいご主人様になるわ」 そして、もう一度笑った。 豊潤な笑み。 呆気にとられた少女に―― 「でも、今回はあなたの負け。認めなさい。あのリボンは、シグリィ様のもの」 「―――」 「代わりに――」 言いながら、セレンはするっと手首に結んでいた紫色の布をほどく。 手を伸ばす。少女の髪に触れる。 少女は動かない。 「……この色は、まだあなたには早いかしらね」 くすくすと笑いながら、彼女は少女の髪にその紫のリボンを結びつけた。ほら、と肩をぽんと叩き、 「いつか似合うようになるわ。きっとね。――ねえシグリィ様?」 振り向いた。 シグリィは目をぱちくりさせた。 セレンは満足そうな笑みを浮かべている。――いったい自分に何を言えと言うのだろう? 今の少女に何を言っていいか、分からないから自分は黙っていたのに。 ああ、でも―― ……視線を、少女に移してみる。 それに気づいて、少女は真っ赤になりうつむいた。その手が、髪を飾る紫の布を隠そうとしている。だが彼女の手では、リボンは隠しきれなかった。 細い指の間から、若すぎる彼女にはまだ合わない落ち着いた紫色がのぞく。 その様が、まるでリボン自身が隠されるのを拒んでいるようで…… ――心の中に、ぽんと浮かんだ何かがあった。 「ああ」 ようやく言葉を見つけて、シグリィは微笑んだ。 「きっと、喜んでいるよ。リボンも」 「………っ」 お嬢様はますます赤くなった。 「ぶ、無礼ですわ……っ!」 ぷいと向こうを向き、「起きなさいお前たち!」 ついさっき眠っていろと言った自分の護衛たちを叩き起こそうとする。 ぷーっと、セレンが噴出した。 「そんな起こし方じゃ起きないわよ! ああほら殴らない、私が気付けやったげるから――」 ――私もやるか。 そう思い、さきほど自分で気絶させた男たちの目を覚ませるために、シグリィはお嬢様の傍らにしゃがんだ。 と、「あー!」とセレンが声を上げた。 「いっけない。思いっきりおそろいの結び方しちゃった!」 「?」 「もおー! シグリィ様とおそろいやるのは私だったのにぃ〜〜〜!」 しょうもないことで地団駄踏むセレンをよそに―― シグリィは少女を見た。 お嬢様も少年を見た。 二人の黒髪には、色違いの蝶がとまっていた。 「ああ。そう言えばそうか」 と簡単に受け入れたシグリィとは対照的に、 お嬢様が――わなわなと震えた。 「け――がらわしいですわ〜〜〜〜〜〜!!!」 少女の渾身の叫びが、公園にこだまする。 ――少し離れたところでは、一部始終を見ていた謎の店員が、 「お似合いですねぇ」 とのほほんと微笑んでいた。 |
| 夕暮れの道を並んで歩く。 宿へと帰る道。 シグリィとセレン、二人で荷物を分け合って――ほとんどがセレンの持ち物だが――彼らはのんびりと足を進めていた。 前に進むたび、少年の髪の上で相変わらず赤い蝶がひらひらと羽を動かす。 「楽しみ〜〜〜♪」 セレンの足取りは、妙に軽い。 「カミル、どんな反応すると思いますー? ひょっとして女の子と間違えて赤くなったりして! わ〜、そうなったら笑ってやろう!」 「………」 ――だいたい九十%の確率でセレンは怒られるはずなのだが、彼女は何故そんなに楽しそうなのだろうか。 シグリィには分からない。 分からないが、彼女はそういう人間だと知っていた。もう数年ともにいるのだ。最初のころは理解しようとしていた気もするが、今はそんなことはどうでもよくなった。 自分が理解しようがしまいがセレンはセレンで、彼女は自分とともにいてくれる。 それでよかった。何も不満はなかった。 ――彼女は、どうなのだろう? 「さっきのお嬢様……」 呟く。 公園でリボンを争奪しあったあの若い少女――公園で別れる際に、 『次に会ったときは、必ずそのリボンをわたくしのものにしましてよ!』 頑固に赤いリボンにこだわった。 けれど、セレンにもらった紫のリボンをはずそうとはしなかった。 自分とはまったく違う……主人の形。 そしてセレンは、彼女を"いい主人"と呼んだのだ。 「あんな主人を持ってみたかったか? セレン」 「私にはシグリィ様がいますもん」 「仕えているわけじゃないだろう。お前は別に、私の従者というわけじゃない。――本当に主を持つなら、どんな人間がいい?」 「ん〜」 セレンは空を眺めながら、難しい顔になった。けれども考え込む様子もなく、その唇はすぐに答を紡ぐ。 「考える必要ないですよ。私はシグリィ様の傍にいるんだから」 「……考えることもしないのか?」 「だって」 セレンは足を止めた。 なぜか困ったような顔をして、 「シグリィ様がいてカミルがいて――二人とどんな風に楽しくやっていくか考えるのに忙しくて、それ以外のこと考えてられないから」 どうしても考えなきゃダメですか?――セレンは真面目に尋ねてきた。 「―――」 どんな風に楽しく―― そのかけらが、今自分の髪にある蝶なのだ。 どれだけその意味が、分からないことであろうとも。 シグリィは――首を振った。 唇の端に、かすかな笑みを浮かべて。 「――いいや」 そして二人は再び歩き出した。 せわしい街並をのんびり抜け、やがて宿が見えてくる―― 「――で、シグリィ様! こうなったら次はやっぱりレースですよレース! 絶対似合います保証しますから着てくださいっ!」 「いや、着るのはいいんだが」 盛り上がるセレンに、冷静に彼は問題点を述べる。 「……そこまでやるとさすがに、何となくカミルの怒りをおさえられないような気がするぞ? 私がかばったとしても」 「えー? あー、うー」 その可能性を否定できないらしい。セレンは視線を泳がせて、何かを一生懸命考えたようだった。 やがて、 「そうだっ!」 これ以上なく顔を輝かせて、彼女は声をあげた―― 「カミルにもリボンつけさせましょう! そしたら共犯で、絶対怒れないんだから……!」 「なるほどな」 うなずいて―― それからシグリィは、重々しくつけたした。 「悪いがそのときは、絶対かばわないからな。私は」 ――青年の待つ宿はすぐそこ――
〜FIN〜
|